ドラフト総決算2012 ~第2章~ 世界を見た中学生

選手コラム

 世界を見た中学生 ~関西~

 堺市と藤井寺市、大阪狭山市は近い距離にある。 堺市で生まれ、小学校1年生から野球を始めた少年・藤浪晋太郎は、小学6年生で180cm、中学3年で194cmになっていた。必然的に投手となると、大阪泉北ボーイズではエースとして142kmを記録、野球熱の高い関西の少年野球界に藤浪晋太郎の名前は知れ渡っていた。中学3年の時に台湾で行われるAA世界選手権の代表に選ばれると、藤井寺市出身で河南シニアでプレーしホームランを量産していた高橋大樹、柏原市出身で大阪柏原ボーイズの中道勝士が捕手として藤浪晋太郎とバッテリーを組む事となった。

 大会は予選リーグから激闘となった。台湾戦は15-12、ベネズエラ戦では7-6、オーストラリア戦は9-10。藤浪投手は先発をするものの初回から集中打を浴びて大量失点した。
 なんとか決勝リーグに勝ち進んだが、メキシコに4-5で敗れ、5位~8位決定戦で再び台湾と対戦する。ここでも藤浪投手が先発したものの3回までで5失点、4回でマウンドを降りると、チームも6-10で敗れ、7位8位決定戦でなんとかオランダに11-1で勝利し7位となったが、ベスト8の中で7位と厳しい結果となった。

 藤浪晋太郎はバッテリーを組んだ高橋大樹と共に世界の壁を経験した。日本でトップクラスだった二人も、世界には通用しなかった。この悔しさをバネに再び世界に挑戦する為、甲子園で活躍しAAA選手権代表になる事を誓い合った。

 また堺市の隣、大阪狭山市のオール狭山ボーイズでは田村龍弘が65本塁打を記録、ショートには同じく30本以上のホームランを放った北條史也が守っていた。打撃の天才・田村龍弘には全国の名門高校が声をかけており、泉北の藤浪晋太郎や河南シニアの高橋大樹とも知り合いだった田村龍弘は関西の高校に進もうと考えていた。しかし、青森・光星学院に進む事を決めていた北條史也が田村を誘い、進路を光星学院に決めた。

 思えば、この時、4大会連続に甲子園に出場し、3大会連続準優勝を記録した光星学院の歴史が決まった。そして194cmの中学生は大阪桐蔭に、捕手を務めた高橋大樹は龍谷大平安に進む事を決めた。

 世界を見た中学生 ~岩手~

 岩手県水沢市(現奥州市)にも怪物がいた。小学生の時は水沢リトルで全国大会に出場し、中学生の時も一関シニアでリトルシニア全国選抜大会に出場した時のチームの主将・大谷翔平。大会では初戦で世田谷西と対戦、天才投手横塚博亮の前に得点を奪えず、0-7で敗れた。世田谷西はそのまま優勝を果たし、横塚投手はAA世界選手権の日本代表として藤浪晋太郎と共に先発を任された。

 敗れた大谷翔平投手は、センバツで150kmの速球を武器に準優勝を果たした花巻東・菊池雄星に憧れ、花巻東に進路を決めた。菊池雄星投手は国内だけでなくメジャーも進路に考えている事を明かしメジャー球団との面談を行った。面談後、佐々木監督より国内球団を勧められ、2009年ドラフト会議の1位指名で6球団競合の末、埼玉西武が交渉権を獲得し入団する事になった。大谷翔平には菊池雄星という目標と共に、メジャーリーグ挑戦という目標も持つようになった。

 花巻東に入団した大谷翔平は、入学後いきなり145kmを記録、佐々木監督と話し合い、日本一になる事、日本人最速となる163km/hを記録する事、ドラフトで菊池雄星を越える8球団から1位指名を受ける選手になる事を目標に定めた。そして心に中には最終的にメジャーリーグに行くことも決めていた。

 中学時代の大谷翔平選手 (一関市ホームページ(広報いちのせき)より) ページの下の方に写真があります。

 続く

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