ドラフト総決算2012 ~第10章~ 駆け上がる夏!

選手コラム

 目覚めの夏!

 野球人生が平坦のまま進んでいく選手には、おそらく大きな成長は見られないだろう。フォームを崩し、悩み、故障し、打てなくなり、チームや先生と時にはぶつかったり、一度や二度ではないはずだ。しかしそれでも野球を続け、それを乗り越えた時、選手は大きく花開くのだと思う。

 此花学院に153kmを投げる投手がいるという噂は、選手が登板する姿を見る人が少ないまま広がっていた。野球雑誌に掲載され、153kmという数字が独り歩きしていた。しかし、その投手は公式戦での登板はできなかった。福田真也投手。高校は倉敷高校に入学し、山本監督を信頼して1年生ながら秋にはマウンドに登るまで成長していた。しかしその秋、山本監督が倉敷高校を辞め、来年から此花学院に赴任すると聞く。監督についていきたい、でも転向すれば1年間は公式戦に出場できないという高野連の規定がある。福田投手は2011年1月に此花学院に転向する道を選んだ。

 公式戦には登板できないが、練習試合には登板できる。2年生の時の練習試合で153kmを記録、それが噂のきっかけとなった。しかしその噂を証明する機会は与えられなかった。そして3年生となりと制限が解除され公式戦で登板を果たす。春季大会で143kmを記録すると、夏は初戦の上宮太子戦で148kmを記録、1年間の思いと共に強豪を下したのだった。

 もう一人、春季東京都大会で無名の高校にスカウトが集まった試合があった。都立片倉高校、マウンドに登ったのは金井貴之投手。金井投手も最初は神奈川の強豪・平塚学園に入学した。しかし2011年春に野球ではほとんど名前の挙がってこない都立片倉高校に転向する。こちらも2年生の1年間は公式戦に出場することができなかったが、練習試合で145kmを記録、スカウトはその名前を捕えていた。最後の高校野球公式戦となる夏の西東京大会、185cmのサイドスロー左腕・小田嶋冶真人と共に夏を駆け上がっていく。4回戦・東海大菅生に勝利すると、準々決勝の東亜学園戦では4安打7奪三振で完封!準決勝の佼成学園に敗れたものの、1年間の思いを十分発散した。

 いろいろな困難を乗り越え、諦めなかった選手だけが味わえる夏の暑さだった。

 

 想いと共に戦う夏!

 1年生で怪物と言われた投手は、結構苦しむことが多い。昨年、横浜DeNAにドラフト9位で指名された帝京高・伊藤拓郎も1年生での甲子園のマウンドで148kmを記録し、その重圧との戦いを強いられることとなった。

 酒田南・会田隆一郎投手、中学時代に140kmを投げ県外からも注目された投手で、高校1年生で145kmを記録した。岩手の大谷と並び2年後を期待されていた。しかし会田は伸び悩んだ・フォームを忘れてしまって悩み、イップスになり投げられなくなってしまう。アドバイスでサイドスローに転向するも想いは切れかかっていた。そんな時でも、同じく中学時代から注目され、酒田南で甲子園出場を約束した捕手の下妻貴寛は会田を励まし続ける。1球1球受け続けた。そして会田は3年になり上から投げられるようになる。球速は1年生時のように出す事はできないが、腕を振って一生懸命投げる。そして掴んだ約束の地・甲子園、初戦で強豪・明徳義塾と対戦すると、これまで投げることができなかった140km台を連発し7奪三振、試合は2-3で惜しくも敗れたが、下妻めがけて投げ込んだ143kmの速球は、プロのスカウトに「こんな安定したピッチング、見たことないよ」と言わしめた。下妻キャプテンが選手宣誓で話した「わき上がる入道雲のようにたくましく、吹き抜ける浜風のように爽やかに」という言葉は1年間苦しんだ会田にも伝わり、甲子園の入道雲と浜風が会田の背中を押してくれた。

 届かない想いもある。千葉国際・相内誠投手。春季大会で12球団に加えメジャーも注目した投手だ。相内投手は家庭の事情により中学校1年生から養護施設で育った。つらい事も寂しい事もあったと思うが「それを忘れさせてくれたのが野球でした」と野球に打ち込む。それを見てくれたのが千葉国際・高瀬忠章監督だった。千葉国際に入学すると、プロからも注目されるようになった相内だった。しかし、名門ではない千葉国際にとってこれだけの投手を育てた事は無い。3年生になって連投の練習をしたもののスタミナに不安を感じた高瀬監督は、3回戦まで相内を抑えで使う計画を立てた。相内に甲子園を取ってもらうための思いからだったのだろう。しかし、その戦略は3回戦に破たんする。7回まで2-3とリードを許す試合展開、8回に相内が登板するも日大習志野の投手が得点を与えず試合が終わる。相内投手は2試合2イニング25球だけで最後の夏が終わってしまった。

 高瀬監督は「悪かった。2回しか投げさせてやれなくて。甲子園を狙えるという夢を持たせてくれてありがとう」と涙をこぼすと、相内投手も「自分が強ければ今日も先発して投げられた。監督を甲子園に連れて行きたかったんですけどそれができなくて」と涙をこぼす。お互いを思いやる想いは甲子園に届かなかったが、3ヶ月後、プロ野球へと届いていく。

 チームメイト、そして監督と、共に想いやり、共に夢見た甲子園。夢がかなってもかなわなくても、想いは届くのだろう。

 

 駆け上がる夏!

 広島の夏は暑かった。広島国際学院・今井金太が145kmの速球で18奪三振を記録すると、盈進・谷中文哉も145kmを記録し5回ノーヒットピッチングを見せる。広島商・竹田徹司は3試合で4本塁打を放つと、広島工・宇佐美塁大も通算43号を放つ。誰が勝ち上がってもおかしくないサバイバルゲーム、まず対戦したのは広島国際学院と広島工、広島工打線は今井金太を攻略して8点を奪い勝ち上がる。広島商も力尽き、決勝に残ったのは盈進と広島工、谷中文哉は148kmまで球速を伸ばし、3連騰となった決勝のマウンドでも4回までノーヒットに抑える意地を見せた。しかし5回に握力が無くなり制球を乱して4失点で逆転を許すと外野手へ退く、その後7回に再びマウンドに登ると今度はマメをつぶし自ら降板を申し出た。谷中の夏は終りを告げた。精一杯の夏を戦った谷中は「ベストを尽くせた。悔いはない」と話し、「後輩たちが甲子園出場してくれると思っている」と話したが、バスの中で涙を見せた。

 

 主役たちの夏!

 主役たちの活躍はやはりすごかった。花巻東・大谷翔平は初戦は登板せず4番として高校通算56号となるホームランを放つ。3回戦は7回1イニングをすべてストレートを投げ153kmを記録する。準々決勝の盛岡四戦でも1回2/3をリリーフ登板し151kmを記録すると、7月19日、準々決勝・一関学院戦、8-1と点差が開いた6回表、ヒットを許して2アウトながら2,3塁のピンチでカウントを2-3とした場面、左バッターの内角低めの球は160kmを計測した。ガッツポーズをしながらマウンドを降りる大谷翔平。球速よりもピンチを無失点で抑えた事によるものだっただろうが、1年生で入学した時にノートに書いた160kmを投げる投手になるという目標を達成した瞬間だった。

 大谷・高校史上初の160kmのニュースは全国で放送され、全国の球児にも届く。BIG3で春ベスト4の愛工大名電・濱田達郎はフォームで苦しみ続けていたが、準決勝の豊田西戦で145kmを記録すると、決勝の東邦戦では延長から140km中盤を連発し146kmを記録するピッチングで甲子園をつかみ取った。

 また春全国制覇の大阪桐蔭・藤浪晋太郎にも火が付き、4回戦の箕面東戦で150km、13奪三振の快投を見せる。関東NO1投手・宇都宮工・星知弥も150kmを記録すると、東福岡のNO1左腕・森雄大も145kmを記録し4回5奪三振のピッチングを見せる。大谷に負けじと高校生が最後の成長を見せるのだった。

 しかし、大谷翔平の夏はライバルより一足先に終わる。決勝では7回まで12三振を奪いながらも5失点、3-5で盛岡大付に敗れた。春のリベンジの機会は無くなった。一方、藤浪晋太郎は決勝の履正社戦で10-1から一気に7失点するなど不安も見せたが、チームメイトに救われて甲子園出場を果たす。

 甲子園では全国の強豪が打倒・大阪桐蔭、打倒・藤浪晋太郎を狙っていた。その一番手は昨夏、今春と2回連続で甲子園準優勝、選抜の決勝で大阪桐蔭に敗れた光星学院だった。田村龍弘、北條史也も甲子園で待ち受けているのだった。

まだ夏は続く

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