2014年ドラフトストーリー ~その5:新天地~

2014年ドラフトニュース

 2014年ドラフト会議で指名された選手104人にまつわる2008年からの6年間の物語。今回はその5、2011年に入ります。

再戦

 2011年4月5日、島袋洋奨は東都リーグの開幕日、先発のマウンドに立っていた。春夏連覇を達成し祝賀会や取材等をたくさん受けた。その中で大学進学を決め東京へ引っ越し、日々はあっという間に過ぎていく。そして4月、開幕戦の先発マウンドに中央大学のユニフォームを着た島袋がマウンドに立っていた。

 相手は駒大、高校の時のように思い通りに三振を奪う事はできない。それでも必死に投げて4回まで1失点に抑えるのはただのルーキーではなかった。しかし5回に3失点、自責点1ながら1敗がつく。2010年を公式戦で1敗もしなかった島袋投手にとって、久々の黒星となった。

 そして島袋は願っていた相手と再戦を果たす。東浜巨投手、沖縄尚学で甲子園で優勝し、高校1年時に一度対戦をして目標としていた投手、東都リーグの大学を選んだ理由の一つでもあった。5月13日、2戦目の先発となっていた島袋だったが、雨の影響もあって東浜巨投手が2戦目も先発をした。

 ここで島袋は、おそらく大学で最高のピッチングを見せる。ここまで2敗をしていた島袋だったが、亜細亜大打線を相手に9回を投げて5安打12奪三振、大学初完投を初完封で初勝利を挙げた。東浜も7回2安打7奪三振で1失点と好投を見せていた。

 その亜細亜大ではプロ志望をしながらも指名されずに進学をしていた山崎康晃が、東浜巨投手、九里亜蓮などが先発する中でリリーフを任されるようになっていた。また日大の戸根千明もリリーフで登板し威力のある球を投げ、奮闘を見せたいた。

 

集結

 一方、東京六大学に進んだ有原航平も140km/h後半の速球を投げ、春からリリーフとして10試合に登板をしていた。ある程度自信を持って臨んだ事だろう。しかし、東大は抑えるものの他の大学には力では抑える事ができず防御率は5.33と洗礼を浴びる事となった。

 風張蓮は岩手・伊保内よりもさらに北、網走の地にいた。プロからも注目された風張はすぐにエースになるだろうと見られていた。しかし開幕戦のマウンドに立ったのは同じ1年生の玉井大翔だった。そして玉井はその試合でノーヒットノーランを達成し、春のリーグ戦で5勝を挙げてMVPを獲得する。

 大学選手権でも玉井は初戦に先発し勝利、続く慶応義塾戦では先発し降板したものの、抜群の全国デビューとなった。しかし3番手で登板した風張は、初めての全国の舞台だったが、2つの四球で1失点と苦いデビューとなった。玉井はプロ注目の風張の前に大きく立ちはだかり、そして共に成長する事になる大きな存在となった。

 全国常連の九州共立大も大学野球選手権でベスト4に進出する。しかし登板したのは4年生の川満寛弥と2年生で既にエースとなっていた大瀬良大地の二人だけだった。3年生だった福地元春は151km/hの速球を投げていたものの制球が定まらず、竹下真吾は球威不足もあり、後輩の大瀬良に活躍の場を奪われていた。

 

新天地へ

 秋に入って東京六大学、有原は春同様にリリーフとして8試合に登板するも防御率は6.11、速球が通用しない状態は続いていた。それでも岡村監督は有原を使い続ける。エースに育てる選手と見定めていたのかもしれない。頭角を現したのが法大の石田健大だった。エース・三嶋一輝の次の先発として2戦目の先発に抜擢されると、明大戦で初勝利、その後も5回、6回を先発して3勝を上げた。

 高校野球では静清工の野村亮介が力を見せる。2010年秋に東海大会で準優勝してセンバツに出場すると、センバツ初戦の京都成章戦で9回5安打7奪三振で3失点完投勝利を挙げた。187cmから鋭いフォークボールを投げる野村は、ストレートでも145km/hを記録し、一躍プロ注目の投手となった。しかし夏は甲子園に出場する事ができず、社会人への道を進む事になる。

 岡山では倉敷工の守屋功輝が力を見せる。1回戦に8回2/3で14奪三振を記録すると、2回戦も完封した。甲子園に出場できず、プロへ進むことをあきらめ社会人への道を取る。この決断に多くのプロのスカウトは残念がった。また、山形中央で昨年春夏甲子園出場を果たした横山雄哉は、3年時は甲子園に出場する事無く終わる。プロ志望を貫きプロ志望届けを出したものの、指名は無かった。挫折と悔しさを味わいながら社会人へ進む事を決めた。

 

新たな芽

 新宿シニアの浅間大基、チームで5割以上の打率を残し16U日本代表に選ばれると4番を任され、世界大会で2本塁打を放ち、多くの高校がアプローチをしてくる。そして浅間は渡辺監督、小倉部長のいる横浜高校に入学することを決めた。

 またボーイズでは3人の注目選手がいる。一人は葛城JFKボーイズで2年夏にジャイアンツカップで準優勝、3年夏もボーイズの全国大会で優勝しジャイアンツカップベスト8の立役者となった立田将太だった。立田は16U日本代表に選ばれ浅間らと共に戦う。世界大会ではリリーフとして登板し最優秀防御率を獲得した。多くの強豪高校から誘われた立田だったが、将来のプロ野球やメジャーリーグ入りを胸に、地元の公立高校・大和広陵への進学を決断した。

 二人目は飯塚ライジングスターボーイズの高濱祐仁、3年夏のジャイアンツカップで優勝し頂点を取っていた。チームでは30本以上のホームランを放ち全国に名前を響かせていた。そして高濱は兄・卓也が進んでいた横浜高校に進学する事を決める。シニアの浅間、ボーイズの高濱が共に横浜高校を選んだ。渡辺監督、小倉部長も強く全国を意識する事になる。

 三人目は実績こそ2年夏に県大会準優勝ではあるが、135km/hを投げて注目されていた松山ボーイズの安楽智大だった。その投球に地元・済美の上甲監督がいち早く目を付けていた。

つづく

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