2014年ドラフトストーリー ~その6:デビュー~

2014年ドラフトニュース

 2014年ドラフト会議で指名された選手104人にまつわる2008年からの6年間の物語。いよいよ2012年、大物高校生たちがデビューをします。

大物のデビュー

 期待の中学生は1年の春のさっそく結果を残した。九州国際大付には名将・若生監督が各地の中学生の大会を見て、有望な選手を集める。その中で最も期待していたのが清水優心だった。河野元貴や高城俊人など捕手を中心に据えたチーム作りをしており、大型捕手で長打も打てる清水は3年間でチームの中心に育てようと決めていた選手だ。

 その清水は早速結果を出す。入学直後の練習試合でいきなり3ランホームランを記録し、若生監督の期待を確信へと導く。清水はそのまま春季大会で4番を打つ事になる。同じチームに加わった古澤勝吾、彼もまた力を認められ九州国際大付に入学したのだが、若生の監督にはまだ試合で使えるような選手には映っていなかった。ただし3年時にはものになると見ていた。

 捕手では清水以上に注目された選手がいる、春江工に入学した栗原陵矢だ。中学時代に遠投100mの強肩が注目され中日本代表に選ばれた選手で、春からチームの5番を打つ。

 神奈川・横浜高校、春の関東大会のオーダーに注目が集まった。1番には背番号25を付けた浅間が、4番には背番号15を付けた高濱の名前が入る。1年生が1番と4番に起用された。浅間は山梨学院大付戦で3安打2打点に2つの盗塁を記録すると、3試合を13打数6安打と当たりまくり、高濱も1回戦の東海大高輪台戦で2本のタイムリーを記録する。二人は夏の大会も1番と4番を打ち共に2本塁打を記録する。甲子園には松井裕樹の桐光学園が出場したが、西の高濱、東の浅間の揃った横浜高校は注目された。

 

安楽登場、ライバルも

 そして愛媛・松山、済美高校・安楽智大が登場する。安楽は186cmの体から入学直後に144km/hを記録すると、夏の大会では松山商を4安打8奪三振で完封し高校球界に衝撃を与える。今治西戦で3失点し敗れたものの148km/hを記録、しかしそれも安楽伝説の始まりにすぎなかった。

 安楽は秋季大会では全国の野球ファンから注目される選手となっていた。その中で松山東を1安打完封、川之江戦を3安打17奪三振で完封、松山商を内野安打2本に抑えて完封する。松山聖陵戦では延長14回を一人で投げ5失点するも151km/hを記録、延長に入っても140km/h後半を連発するなど1試合21三振を奪った。

 四国大会でも池田戦で132球を投げ7奪三振も6安打3失点とさすがに疲れを見せる。そして準決勝の鳴門戦、これに勝てばセンバツ出場が確実になる。気合いを入れた安楽は152km/hを記録して8者連続など15三振を奪って飛ばした。しかし連戦の疲れと飛ばした影響で、4-1とリードした9回に4失点してサヨナラで敗れ、勝利はあと1イニングでこぼれていった。しかしこの奮闘が評価されてか、翌年のセンバツ出場を手にすることになり、伝説となる772球へとつながる。

 そして安楽とライバルとなる二人の投手も頭角を現す。一人は前橋育英・高橋光成、夏の大会の太田工戦で6回まで毎回奪三振にノーヒットピッチングを見せる。7回にヒットを許したものの9回を4安打15奪三振に抑えて1失点で完投勝利を挙げた。ブレークするのは翌年になるがチームの信頼を勝ち取っていた。

 もう一人は立田将太、将来のために連投を強制されない公立の大和広陵に進んだ立田は、秋季大会でエースとして登板し、2回戦で8回12奪三振無失点、畝傍戦で2安打13奪三振完封、一条戦では2安打13奪三振で完封した。いろいろな条件をのんでくれたチームに甲子園出場をプレゼントした。

 

東都の物語

 東都大学リーグは覇権交代を迎えていた。それまで大場翔太、藤岡貴裕等の活躍で2006年から5年連続春季リーグ制覇など黄金時代を続けていた東洋大だったが、2011年秋は東浜巨投手、九里亜蓮、山崎康晃が揃った亜細亜大が優勝していた。

 エースの抜けた東洋大は投手の成長が遅れエース不在で春のキャンプを迎えるが、そこで高橋監督は3年までほとんど実績の無かった土肥寛昌をエース候補に指名した。制球を乱すものの140km/h後半の速球を投げる力に賭けたのだが、しかしリーグ戦開幕までのオープン戦で力を見せられずエース不在のままリーグ戦を迎えた。

 その開幕戦、東洋大の前に中央大の島袋洋奨が立ちはだかる。まだまだ寒い4月1日、東洋大は変わりにエースに指名された藤田純基投手が7回途中まで1失点と好投するも同点に追いつかれ、2番手で報徳学園でプロから注目されていた1年生の原樹理投手が延長14回まで無失点の好投を見せる。

 対する中央大の島袋、1年で実績を残し大エースの道の一歩目をこの試合で飾る。延長15回226球を一人で投げ2失点で完投、チームも15回裏にサヨナラで勝利し1勝をもぎ取った。エース島袋の名は2010年連覇とともに輝きを増していたが、この投球により左ひじが徐々に悲鳴を挙げていく。このシーズンは3勝0敗も3試合30回の登板にとどまった。結果的にこの投球がその後の島袋投手に影響を及ぼしてしまう。

 その日の1戦目は亜細亜大vs駒澤大のカードだった、亜細亜大はエース東浜巨投手、2戦目は九里亜蓮が先発し、リリーフで山崎康晃と飯田哲矢が控える、秋春連覇を狙うチームは優勝候補筆頭だったが、初戦突破に苦しんだ。その原因は駒澤大・江越大賀だ。

 5番に入った江越は東浜の立ち上がりを捕えてタイムリー3ベースを記録する。ペースを乱した東浜は6回8安打で降板した。続く2回戦も今度は九里亜蓮から2回に先制のホームランを放ち、亜大の2枚看板から打った。

 それでも4人ともプロ入りする投手陣の亜細亜大は強かった。リリーフの山崎、飯田も好投し連勝して見せると、そのまま春を制覇、秋も優勝し覇権を握るのだった。

 一方、戦国東都で敗れる事は降格につながる。春のリーグ戦、戸根千明がリリーフで奮闘した日大は最下位になると入れ替え戦で国学院大に負け越し2部に降格する。そして秋、今度は東洋大が最下位となり入れ替え戦で専修大に負け越し降格となった。

 2部では一人の投手が遅まきながら復活を見せていた。東農大の高木伴、市立川口で速球を認められ東農大に進むと140km/h中盤の速球を見せていたのだが、ケガで伸び悩んでいた。その高木は2部ながら春は2勝、秋は3勝を挙げる。その投球はNTT東日本で野球を続ける道をつなぎ、その先のプロへと繋がっていくのだった。

 

西のNO1

 東では東都や東京六大学で熱い戦いが繰り広げられていたが、西も大きな話題となった。関西学生野球リーグで連敗を続けていた京都大だが、2011年から明るい兆しを見せていた。興南高校の監督を務めていた比屋根吉信氏が2010年に就任すると、2011年にはその年入学していた田中英祐が、秋に147km/hを記録しスタンドをアッと言わせていた。

 そしてこの春の5月21日、京都大の連敗は60でストップした。その日のマウンドには田中英祐、関西学院大を5安打9奪三振で完封したのだった。その秋も京都大は10年ぶりの開幕白星を関西大から奪った。そのマウンドにも田中英祐がいた。田中その後も立命館、同志社、近畿大を相手に一歩も引かず投球を見せる。1勝6敗という成績だったが防御率1.70という数字が、田中の投球を物語っていた。

 

遅いデビュー

 住金鹿島に入部して4年目となっていた石崎剛は春に一つの決断をする。三和高校時代にプロから注目された投球フォームを捨て、腕を下げる事を決めた。その結果は秋にあらわれる。日本選手権に登板した石崎は3番手として登板すると3回1安打2四球、1失点したものの大舞台を経験した。

 

春を待つ

 立田の大和広陵、安楽の済美、栗原の春江工などがセンバツ出場を決め、さらにもう一人注目の投手がセンバツ出場を決める。盛岡大付・松本裕樹である。松本は1年で141km/hを記録し練習試合では140km/h中盤を投げたという噂も出て、この年プロ入りをした岩手の怪物・大谷翔平の後継者と見ている関係者も多かった。

 秋では浦和学院の小島和哉も明治神宮大会で1勝を挙げるなどしていた。大きくない身体から130km/hのストレートと変化球を駆使するピッチングではあったが、伸びしろを指摘する関係者もいた。こうして2013年のセンバツの期待度は増してゆき、春を待つのだった。

 

 また新たに新しい年を迎える選手もいた。植田海は日本航空高校を退学した。理由は話さないが野球推薦で入学する選手は何らかの理由で野球をすることができなくなると、その高校を辞める事になることも少なくない。幸い植田には手を差し伸べてくれる人がいた。近江高校・多賀監督は植田の素質を見て転向を受け入れる。

 高校野球の規定で1年間は公式戦でプレーできなくなる植田は、1年以上先の春を待った。

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