北海道日本ハム、花巻東に指名挨拶も大谷翔平投手は同席せず

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 北海道日本ハムの山田GMが、指名挨拶のために花巻東を訪れたが、佐々木監督が応対し大谷投手は同席しなかった。挨拶はわずか18分で終わった。

 佐々木監督はは「本人も含めて対応する機会をつくらなきゃいけないと思う」と話していたが、今回の指名挨拶では本人は同席せず、山田GMは「会えなかったのはしょうがない。覚悟はしていました」と話した。佐々木監督には大谷投手のメジャーへの憧れの理由を聞くと「菊地雄星以上になれ、と言っていたが本人は日本から世界へと目を向けていった」と話したとの事。

 今後については佐々木監督より大谷君と交渉してほしいという提案を受け、次回は両親など大谷家側と交渉の機会を持つ見通し。最初は国内球団を勧めた両親を説得し、それから本人の心に訴えていきたいところだろう。

 今回同席しなかったのは、拒否という意味ではないと思う。大谷投手はあくまでも国内球団でやりたい気持ちよりもメジャーへの憧れが強かったと話しているのだから、堂々と日本ハムとも交渉してから、それでもメジャーへの気持ちが強ければそこで決めれば良い。交渉権が獲得してからしか話せない事も多くあるし、条件を聞いて北海道日本ハム入りを決めたって悪いことではない。

 次回は両親など家族との交渉となるだろう。何かで読んだのは、1982年のドラフトで巨人入りを希望?していた荒木大輔(現東京ヤクルトコーチ)投手が巨人との抽選で交渉権を獲得したヤクルトに対し、早大進学を理由に指名挨拶の拒否をしたことがあった。自宅を訪問したが会う事ができず、その時、ヤクルト側が玄関前に花束か何かを置いていった。この写真が雑誌に掲載されると、世間は荒木家に対し「会うべき」という反応を示してヤクルトはようやく荒木側と接触することができ、これがきっかけで入団にこぎつけたというエピソードがある。

 北海道日本ハムは最近では2005年高校生ドラフトで福岡ソフトバンク入りを希望していた福岡第一の陽選手を1位指名し抽選の結果交渉権を獲得、当初は陽投手が悔しさで涙を流すなど交渉は決裂するかに思われたが、熱心に交渉を続けて入団にこぎつけている。

 家族と会うきっかけができただけでもまずは前進といえるのではないかと思う。でも最終的には本人の意思が尊重される。その決断がメジャー行きであれ、北海道日本ハム入りであれ、誰も何も文句を言うことはできないはずだ。

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     メジャー挑戦を表明している花巻東・大谷翔平投手(18)をドラフト1位指名した日本ハムは26日、山田正雄GM(68)と大渕隆スカウトディレクター(SD=42)が、指名あいさつのため岩手・花巻市内の同校を訪れた。だが、本人は校内にいながらも同席せず、肩すかしに終わった。難航必至の交渉は、予想通りの厳しいスタートになった。

     

     熱意を伝えたい相手は、目前にいなかった。18分のあいさつ後、山田GMは「佐々木監督と面談しました。こちらから指名の経緯をお話しました。本人? きょうは会うことはできませんでした。できれば会いたいと思いましたが…。半分は覚悟していた。理由は聞きませんでした」と語った。

     

     前日、佐々木監督は「本人も含めて、対応する機会は作らなくてはいけない」と大谷を同席させる意向も示していたが、本人はグラウンドで練習の真っ最中。指名あいさつ後の佐々木監督の取材対応もなかった。  全文はスポーツ報知の記事をご覧ください。

     会談はわずか18分間。佐々木監督から日本ハム側には、「(メジャー挑戦を熱望しながら西武に入団した)菊池雄星の存在が大きかった。大谷に“雄星以上になれ”と声を掛けていたら、日本より世界に目を向けるようになった」と説明があったという。
     今後は大谷本人と両親に、ダルビッシュ(現レンジャーズ)らを育成した実績を説明したいとし大谷側が希望すれば日本シリーズ終了後、栗山監督を交渉に同席させる意向も示した。

     

     ただ、大谷が前日に「(入団の)可能性はゼロ」と話したこともあり、山田GMは「(選手育成の)実績を話そうと思っているが、そこまでいけるか分からない」と厳しい表情。それでも「時間をかけて諦めずに最後の最後まで頑張ります」と、来年3月31日の交渉期限まで全力を尽くす。  全文はスポーツニッポンの記事をご覧ください。

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