中日退団選手の進路

朝倉健太, 藤沢拓斗

中日より戦力外となり、自由契約または任意引退をした選手の進路をまとめます。

中日の自由契約・任意引退選手の進路

選手名 守備 通算成績 ドラフト 出身 進路
山本昌 投手 581試合219勝165敗5S 1983年ドラフト5位・中日 日大藤沢 評論家
谷繁元信 捕手 3021試合打率.240、229本塁打 1988年ドラフト1位・大洋 江の川高 中日監督
小笠原道大 内野手 1992試合打率.310、378本塁打 1996年ドラフト3位・日本ハム NTT関東 中日2軍監督
和田一浩 外野手 1968試合打率.303、319本塁打 1996年ドラフト4位・西武 神戸製鋼 評論家
川上憲伸 投手 275試合171勝76敗1S 1997年ドラフト1位・中日 明治大 現役続行希望
朝倉健太 投手 236試合65勝70敗1S 1999年ドラフト1位・中日 東邦高 中日編成
藤沢拓斗 内野手 1軍出場なし 2013年ドラフト6位・中日 西濃運輸 JR西日本

 

山本投手は日大藤沢で大型左腕としてドラフト5位でプロ入り、1軍で登板も少なく最初は伸び悩んだものの、1988年にドジャースに野球留学するとそのまま滞在し、アイク生原氏のもとでコントロールとスクリューを覚え、帰国した1989年に9勝、1990年に10勝を挙げた。その後も94年に19勝、97年に18勝を記録し日本を代表する左腕エースとして活躍、2014年には49歳で勝利投手となり、50歳の今年現役を引退した。

谷繁選手は江の川高校時代に山陰のバースと呼ばれるなど高校通算42本塁打の強打と強肩の捕手として注目された。1988年のドラフトで大洋が1位指名、山下大輔氏が付けていた背番号1を与えるなど期待も高く、最初は捕手としてミスもしたものの起用され続け、佐々木主浩投手のフォークボールを受け続け捕手として大きく成長した。1998年には横浜で優勝すると、FAで中日に移籍、2014年からは兼任監督としてプレーしていた。

小笠原選手はNTT関東では捕手としてプレーし、ホームランは0本で確実性の高い打撃が評価されていた。日本ハムにドラフト3位で指名されると1,2年目は捕手として出場、3年目はファーストにコンバートされると、156安打25本塁打を記録、その後も打率3割30本を続けた。その後、巨人、中日でプレーし、生涯打率は.310という驚異的な打率を残し、ホームランも378本と歴史に残る大打者の一人となった。

和田選手は県岐阜商から東北福祉大、神戸製鋼でプレーし、大学でも首位打者を獲得、社会人でも高いアベレージを残し、打撃のある捕手として小笠原選手とともに注目された。ドラフト4位で西武入りすると伊東捕手がいた事もあり外野手にも挑戦し始めたものの首脳陣が捕手にこだわり2001年までは捕手としてプレーしていた。2002年に外野手に転向すると140安打33本塁打を記録、その後は毎年20本以上のホームランを放つ屈指のスラッガーとなり、移籍した中日でも優勝に貢献する活躍を見せた。

川上投手は明治大時代に高橋由伸投手とともに注目され、東京六大学で28勝を挙げる活躍を見せた。ドラフト前に中日を逆指名しプロ入りすると1年目に14勝を挙げ、打率.300に19本塁打を記録した高橋由伸選手との新人王争いを制した。2009年にアトランタ・ブレーブスに移籍し1年目に7勝を挙げたが2年目は1勝10敗に終わり2012年に中日に復帰したものの4年間で5勝に終わり戦力外となった。

朝倉投手は東邦高校でやや制球難もあったが甲子園で149キロを記録し注目された。ドラフトでは河内貴哉投手を外した中日が外れ1位で指名している。3年目に11勝を挙げると、2006年に13勝などエース格の活躍を見せた年もあったが2010年以降は成績が伸びなくなった。

藤沢選手は柳ヶ浦高校時代は28本塁打を記録、西濃運輸では5年間プレーり巧みな打撃を見せる内野手として2013年に中日がドラフト6位で指名、プロではセカンドとして1軍昇格を目指したが2軍でも打率が1割台しか残せず、2年間で戦力外となった。JR西日本ではチームを引っ張る活躍を見せてほしい。


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