新垣渚投手が引退、ドラフトの悲劇乗り越え14年間投げ切る

新垣渚

東京ヤクルトでプレーをしていた新垣渚投手が引退を決断した。九州共立大から2002年に自由枠で福岡ダイエーに入団し、その後、2014年にヤクルトに移籍、14年間プレーし64勝での引退となった。

松坂と並ぶ評価

怪物・松坂大輔投手と、小池正晃、後藤武敏、小山良男などがそろう横浜高校に立ち向かい堂々のピッチングをしていたのは、沖縄水産・新垣渚投手だった。1997年明治神宮大会決勝は3-5で横浜高校に敗れ準優勝に終わったものの、180cm後半からの140キロ中盤から後半の速球は、松坂大輔投手と比較される投手だった。

センバツ、夏の甲子園では連覇を達成した松坂投手とは対照的にともに初戦敗退に終わるが、松坂投手と並ぶ当時最速の151キロを記録し、粗削りで潜在能力の高さは誰もが認め、ドラフト会議では3球団が重複した松坂大輔投手に対し、新垣投手はダイエーとオリックスの2球団が競合した。当時はまだ選手側から入団したい球団を強く希望し、希望球団に入れない場合には大学進学といった事も少なくなかったが、新垣投手も地元九州のダイエー入りを希望し、それ以外なら進学を表明していた。

抽選ではオリックスが交渉権を獲得、新垣投手は涙を流して退席した。その後、入団拒否を伝え進学を決めるが、オリックスの担当スカウトが自殺するという事件に見舞われる。世間からのバッシングなどもあり、苦しい立場となった。それでも新垣投手は1年生から活躍し、1年生秋の明治神宮大会では優勝に貢献した。そして2002年、自由枠のあったドラフト会議でダイエーに入団した。

プロでは2003年に8勝、2004年に11勝を挙げるなど、2006年の13勝まで3年連続で2ケタ勝利を挙げ、その力を見せたが、2008年ごろから成績が落ち始め、暴投などコントロールの悪さを指摘されるとフォームなどを見失い苦しむことになる。2014年に東京ヤクルトに移籍したものの結果は残せず、今年戦力外を通告され、この日引退を決断した。

14年間で64勝64敗という成績だった。ドラフト史においても名前が残っていく選手だと思う。それでも、非常に重いプロからのスタートだったと思うが、それを乗り越え、松坂世代の代表投手として堂々と投げ切った。


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