千葉ロッテのドラフト5位ルーキー、井上晴哉選手が初安打、猛打賞

千葉ロッテルーキーニュース

 千葉ロッテのドラフト5位ルーキー・井上晴哉選手が7番DHで出場すると、第2打席に左中間に2ベースヒットを放ちプロ初安打・初打点を記録した。オープン戦で首位打者となり開幕4番に抜擢されたルーキーがようやくプロで活躍を見せた。北海道日本ハムのエース・吉川光夫投手とは高校以来の対戦となった。

 

4試合8打席目

 井上晴哉選手はルーキーながらオープン戦首位打者となり、千葉ロッテの伊東監督も開幕4番を任せた。しかし福岡ソフトバンクを相手に開幕戦は4打数ノーヒット、2戦目も3打数ノーヒット、2試合で2つの死球を受けるオープン戦とは違った厳しい攻めを見せられた。3戦目にはスタメンから外されてしまう。

 その後、埼玉西武戦で代打で出場したもののヒットは打てず、3試合7打席ノーヒットで迎えたこの日は、7番DHで出場すると、4回にランナーを2塁において、左中間深くにプロ初ヒットをを放った。初ヒットは2ベースヒットで打点が付いた。一度ヒットが出ると止まらず、第4打席はセンター前ヒット、第5打席はライト前ヒットと、持ち前のバットコントロールで左中右に打ち分けての猛打賞を記録した。

 

広島対決

 初ヒットを打ったのは北海道日本ハムの吉川光夫投手、吉川投手は広陵高校出身で、同じ広島の崇徳高校だった井上選手の1つ上の世代に当たる。高校時代では2006年の夏の広島大会準決勝で対戦している。準々決勝まで13回無失点15奪三振を記録していた吉川投手は、2年生ながら2本塁打を放っていた崇徳高校の井上選手をノーヒットに抑えたものの、2つの押し出しなどで敗れていた。

 しかし吉川投手はその年の高校生ドラフトで北海道日本ハムに1位指名されてプロ入りする。井上選手の高校3年時は、ホームランも40本を越え注目され夏の大会で第1シードとなり注目されたものの、初戦で瀬戸内高校に敗れ、井上選手は中央大に進学して東都リーグで100安打を記録する事になる。

 その年に優勝した広陵高校は野村祐輔投手、小林誠司捕手のバッテリーで甲子園で準優勝する。そして社会人では井上晴哉選手と小林誠司捕手が日本生命で共にプレーする事になり、プロではそれぞれ広島、巨人、千葉ロッテに入団する。

 

重圧

 重圧は大きかった。崇徳高校、中央大、日本生命で4番を任されていたとはいえ、井口選手や角中選手など錚々たる面々の中で4番を打つことで、無意識に力が入っていたのだと思う。しかしヤフオクドームで王貞治ベースボールミュージアムを見学した時に、千葉ロッテの山村社長から「王さんもプロ入りから26打席ノーヒットだった」と励まされ気が楽になったようだ。

 また、チーム内では井上選手と同じ平成元年世代の鈴木大地選手がキャプテンで、唐川侑己投手は先発としてチームを支え、益田直也投手はリリーフエースとなっている。黄金世代になりつつある24歳の世代の中で、井上選手がチームの4番で活躍を見せたとき、再び千葉ロッテの黄金時代を迎える事になる。

 

 崇徳高2年の夏、広島大会準決勝で吉川率いる広陵と対戦し勝利したが、井上は無安打に抑えられた。当時、1学年上で格上だった吉川からの安打には「そういう人から打てて、うれしかった」と目を細めた。7回には中前打、8回にも右前打を放ち、プロ初の猛打賞。17安打9得点と爆発した「マリンガン打線」の火付け役となった。

 「“幕張のアジャ・コング”背番号44。井上晴哉です!これからどんどん打っていきます」

 人生初のお立ち台。苦しんだ分、笑顔がはじけた。オープン戦で新人初(ドラフト制以降)の首位打者を獲得し、球団の新人では64年ぶり2人目となる「開幕戦4番」に抜てきされた。ところが、プロの洗礼を見事に浴びた。厳しい内角攻め。開幕から2試合連続で2死球を受けた。9打席連続で無安打。「自分で抱え込んでしまっていた。打ちたい気持ちだけが前に出てしまって。完全にメンタルが原因でした」。わずか2試合で4番から陥落。本拠地に戻り、自分に何度も言い聞かせた。「過ぎたことは帰ってこない」「自分は持ってるんだ」。伊東監督からは「地に足が着いていない」と重心を下げることをアドバイスされた。4試合ぶりのスタメンは「7番・DH」。4番の重圧から解放され、チームの勝利と自分のスイングに徹することに集中した結果が、猛打賞だった。

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