春を呼んだ高校選手たち
ドラフトが翌年に迫ってくると、選手もプロ野球を意識し、プロのスカウトもまた来年の選手を意識するようになる。そしていつもと同じように、球春はスポニチ大会からはじまった。しかしこの年はいつもと違っていた。東日本大震災の影響でスポニチ大会の決勝は中止、プロ野球は開催を延期、しかし選抜高校野球大会は賛否両論ある中で開催された。
「がんばろう、日本。生かされている命に感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。」、高校2年生だった創始学園・野山慎介主将の言葉と高校生のハツラツとしたプレーが、悲しみの日本に少し春を呼んでくれた。大会では1日目の第3試合に登場し、北海に敗れた創部2年目の創始学園、創部からの主将としてチームを1年で甲子園に出場させ、そして震災後の選手宣誓という大きな役割を果たした野山主将も、2012年の立派なドラフト候補の一人だ。
1回戦で2年生同士の対戦があった。国学院久我山vs九州学院、国学院久我山は1年生だった2010年秋季大会で140kmを超すストレートを投げて注目された川口貴都投手、同じく1年生ながら秋季大会でホームランを放った184cmの大型遊撃手・松田進選手と投打に注目の2年生がいた。そして九州学院は1番・溝脇隼人、4番は萩原英之が座り、そして先発は力を付けてきた大塚尚仁だった。試合は序盤に溝脇などが足でかき回し2回までに7得点するも、5回には川口貴都が萩原などクリーンナップから3者連続三振を奪うなど10奪三振でその後が得点を与えなかった。
すると、国学院久我山は終盤に大塚を捕えて8回に7-7の同点に追いつく。そして9回裏、2アウトから溝脇隼人が3ベースヒットを放つと、次のバッターに対して川口貴都がワイルドピッチ、激戦は儚い幕切れとなった。そして大会は東海大相模が優勝した。
熱を取り戻す大学生
大学野球も静かなスタートとなった。大学野球界のスターだった斎藤佑樹が抜け、2010年の優勝決定戦は36,000人の観客が詰めかけた神宮球場は、春初戦となる4月9日の開幕戦は3000人となっていた。もちろん大震災の影響もあっただろうが。
しかしそんな中、慶大・福谷浩司投手が全12試合にリリーフ登板し防御率0.59でリーグ1位を記録、慶大が10勝を挙げてリーグ制覇を成し遂げた。そして立教大も小室正人投手の6勝を挙げる活躍で2位に躍進、早大は5位に沈んだ。
東都は各チームにエースが揃う大激戦の様相だった。東洋大に3年間で16勝を挙げていた4年生・藤岡貴裕、昨秋優勝の國學院大は高木京介、中大には昨年高校野球で春夏連覇の島袋洋奨、1部に昇格を果たした駒大は2部ながら春に3本塁打を放った大型遊撃手・白崎浩之と安定感のあるエース・白崎勇気の親戚コンビがいた。そんな中で2年生の時点で既に17勝を挙げていた東浜巨投手も激戦に巻き込まれる。このリーグで5勝を記録し通算22勝14度目の完封を記録するも、大エースの東洋・藤岡、沖縄の後輩、中央・島袋との投げ合いで星を落とし優勝を逃した。まさに戦国東都、常に世代交代が起こる。
大学選手権で新しい星が登場する。北の星、道都大は佐藤峻一の快投と1番遊撃手・大累進の強肩を活かした守備で1回戦を勝ち上がると、大体大も急成長を見せた宮川将が初戦で完投勝利、2回戦で道都大と対戦する。エースに成長した松葉貴大が先発すると9回まで完封するも、対する道都大も若杉、佐藤峻一のリレーで得点を与えず0-0、タイブレークの10回、松葉、佐藤共に2点ずつを許した延長11回、松葉貴大はヒットを許して1点を与えるも次の打者を145kmのストレートで抑えて意地を見せる。対する佐藤峻一はサードライナーに救われると、最後のバッターを143kmのストレートで三振に斬ってとり、3年生対決は佐藤峻一が制した。
また、南の星・九共大は川満寛弥が3試合に先発しベスト4まで勝ち上がる。準決勝では東洋大相手に5回まで0-1と好投を見せ、実力を全国に見せつけた。決勝は3年生代表、慶大・福谷浩司が4年生代表の東洋大・藤岡貴裕に挑戦する。調子の上がらなかった福谷浩司だが、9回まで東洋大打線を無失点に抑えると東洋大藤岡も実力通りの力を見せ9回まで無失点、0-0が続いた。そして延長10回、藤岡貴裕は12個目の三振を奪って無失点に抑えると、その裏福谷が力尽き、2ランホームランを浴びてサヨナラで敗れる。大学野球選手権の球史に残る熱戦は藤岡貴裕に軍配が上がった。
東浜巨投手に加えて相次ぐ3年生の活躍に、2012年のドラフトも大学生が主役になろうとしていた。しかしこの初夏の季節、スカウトの目をくぎ付けにしたのは一人の高校生だった。
続く
コメント