小池正章選手と小池正晃選手、二人の小池選手に15年間お疲れ様でした・・・ドラフト会議ホームページより

 私は今、泣いています。

ドラフト会議ホームページが始まったのは1996年からです。高橋由伸選手が読売ジャイアンツを逆指名したことが、テレビのニュース速報で流れた1997年の秋、翌年のドラフト会議に向けて明治神宮大会を見ていました。目的は横浜高校の2年生・松坂大輔投手と、沖縄水産の2年生・新垣渚投手を見る事でした。

 

怪物の影で活躍する長距離打者・小池正章

 当時は高校生で145km/hを出せば間違いなくドラフトの目玉となる時代でしたが、高校2年生だったこの二人の速球は既に有名で、球速表示の出ない神宮第2球場でもこの二人の球の凄さは、鳥肌が止まりませんでした。今でもはっきりと頭の中に映像が流れます。プロのスカウトのスピードガンで松坂大輔投手は148km/hを、新垣渚投手も145km/hを記録していました。

 しかしそんな中、2試合連続、そして2打席連続ホームランを放ったのが、横浜高校・小池正章選手でした。これだけの活躍をすれば本来ならば主役になるのですが、第2球場のネットの上部に突き刺さる130m級の特大弾も、怪物・松坂大輔投手の前には投球に花を添えるような形になっていました。

 そして松坂大輔投手、後藤武敏選手、小山良男捕手、そして小池正章選手の横浜高校は、この秋から1敗もせずに、神宮、春、夏、そして国体を全て制覇しました。

 特別に1997年秋の時点の、1998年のドラフト候補紹介のページをUPします。

98年ドラフト候補一覧

 

プロ野球で小池正晃に

 松坂世代と呼ばれ、プロ入り後もそう呼ばれ続ける世代の中で、小池選手はその年に38年ぶりの日本一になった横浜ベイスターズにドラフト6位で指名されます。横浜ベイスターズが1位で指名した松坂投手は抽選で西武ライオンズが交渉権を獲得し、二人は離れる事になりました。

 ドラフト6位の選手でプロの世界で生き残るのは並大抵ではありません。生き残るために、小池選手はバントや犠牲フライなどでチームに貢献する選手になっていました。しかし、中日に移籍すると日本シリーズで延長で勝ち越しのホームランを放つなど、高校時代の長距離打者の姿を、時折、見せてくれました。

 

プロ最後の試合の2本のホームランで横浜高校・小池正章へと戻っていった

 高校生からプロ入りした選手、大学から入った選手、社会人から入った選手、いろいろな松坂世代の選手と戦い、15年間プロ野球で戦ってきました。そして、高校時代から戦ってきた横浜スタジアムに2本のアーチを架けて引退をしました。チームバッティングでプロ野球で戦い抜いた小池正晃を引退し、横浜高校のスラッガー・小池正章選手に帰っていったように見えました。

 

小池選手に感謝

 ドラフト会議ホームページの原点は、1997年の明治神宮大会です。松坂大輔、小池正章の横浜高校は、決勝で新垣渚、大城直也の沖縄水産と対戦しまししたが、今でもこの試合が個人的なベストゲームです。

 松坂世代の高校生、古木克明選手、藤川球児投手、大学生の上原浩治投手、二岡智宏選手、社会人の福留孝介選手、岩瀬仁紀投手と超一流の候補が揃う中で、小池選手の指名が気になった98年のドラフト会議があったから、ドラフトホームページはここまで続けられたと思っています。

 15年間本当にお疲れ様でした。本当に本当に感謝していますし、お互いに年を取りましたね。

 でもドラフト会議ホームページは、これからも高校生、大学生、社会人のプロを夢見る選手達を取り上げ続けていきます。小池選手の今日の2本のホームランに憧れた子どもをプロ野球を迎え入れるために。

 

おまけ

1998年高校生投手 

1998年高校生野手


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