2014年ドラフトストーリー ~その1:2008から~

  2014年ドラフト会議は有原航平投手、安楽智大投手が目玉候補となり注目された。今年指名された選手たちのドラフト会議までの6年間のストーリーです。

2008夏

 2008年、春のセンバツ大会では沖縄尚学の東浜巨投手が甲子園を制し夏を迎える。その夏の沖縄、打倒東浜に燃える投手がいた。興南の島袋洋奨である。1年生ながら勢いのある球とダイナミックなフォームで勝ち上がり、準決勝で東浜への挑戦権を得る。しかし好投を見せたものの1-3で敗れ、偉大な沖縄の先輩の背中を瞼に焼き付けた。

 しかしその東浜も、準決勝での熱投もあり決勝で浦添翔の伊波翔悟の前に敗れ、春夏連覇の夢は消える。そして東浜はプロのスカウトが注目する中、東京の大学に進むことを決意する。

 ごく一部の新聞の記事にこんなニュースがある。「茨城県の三和高校に巨人、北海道日本ハムを除く10球団26人のスカウトが視察。」
野球ではほとんど無名の三和高校、ここに石崎剛とういう投手がいた。石崎投手は前年の秋に9回22奪三振というピッチングを見せ、秋から夏までに430回を投げて618奪三振と驚異的な三振を奪い、無名校にプロのスカウトの足を運ばせた。しかし石崎投手はこの年のドラフト会議に指名される事は無く、この記事の後数年間は名前が出る事は無かった。

 東浜巨投手の姿は夏の甲子園にはなく、横浜高校の筒香嘉智などに注目が集まる。その横浜高校の1番を打ったのは倉本寿彦、リードオフマンとして4番筒香にチャンスを作る役割で横浜高校はベスト8まで勝ち上がったが、浅村栄斗などの大阪桐蔭が強さを見せ大阪桐蔭が優勝した。大阪桐蔭の黄金時代の幕開けだった。

 

 8月18日からは北京オリンピックが行われ、この大会で正式種目から外される事になっていた野球は、ロス以来の最後の金メダル獲得を目指し、星野監督を中心とした日本代表が選ばれた。しかしその日本代表、相次ぐ故障者などもあり予選リーグでキューバ、韓国、アメリカに敗れて4位となると、決勝トーナメントでは韓国戦に敗れ、メダル獲得を狙ったアメリカとの3位決定戦でも、守備に課題のあったGG佐藤選手の落球などにより、いいところの無いままメダル無しに終わった大会だった。

 意気消沈の中で迎えた9月28日、福岡のソフトバンクホークスの室内練習場で、小学校5年生、6年生の選手が集められ、年末に行われる12球団ジュニアトーナメントの、福岡ソフトバンクホークスジュニアチームの選考会が行われていた。

 

光る選手たち

 その日の2次選考会に参加したのは56人、その中から18人がジュニアチームに選ばれた。

 背番号16 捕手  小野郁  南薫エンゼルス
 背番号20 捕手  中村誠  可也ジュニアロイヤルズ
 背番号21 捕手  福島孝輔 金田ジュニアクラブ
 背番号33 投手  香月一也 猪熊ベアーズ
 背番号39 内野手 高濱祐仁 佐賀北川副少年野球
 背番号51 捕・内 松崎健造 庄内ジャガーズ

 後に甲子園で全国を制した大阪桐蔭のナインや、投打で注目を集める選手達が喜びの笑顔を見せ、ここから確実にプロへの道を進む事になっていった。

 他の11球団でも同じ時期にジュニアチームの選考会が行われた。北海道日本ハムジュニアでは、西嶋亮太、松田進吾が、埼玉西武ライオンズジュニアでは守屋元気、オリックスジュニアには岸潤一郎、森晋之介、安田光希、巨人ジュニアに池田瞳夢、名幸大成、ヤクルトジュニアに浅間大基、中日ジュニアに青島凌也、木村聡司、4年後には名門の高校に入学し活躍を見せた選手は、既に元プロ野球選手の目に映る輝きを見せていた。

 

 12月末に行われたトーナメントは中日ドラゴンズジュニアが優勝を収めた。福岡ソフトバンクジュニアは3チームのリーグを、香月一也のホームランなどで突破したものの、決勝トーナメントでは日本ハムジュニアに敗れていた。

 3日間の短い期間だが、共に高いレベルのプレーを見せ、共に練習をしたことで刺激となった事は間違いなかった。そして選抜されたこと、プロのユニフォームを着た事、元プロ野球選手に触れ合った事で、将来のプロのイメージを現実として感じた事で、プロへの道がハッキリ見えてくる事を感じた。

 福岡ソフトバンクジュニアの中村、福島、香月は、この夏の甲子園を制した大阪桐蔭で再び同じユニフォームを着る事になり、小野は地元の西日本短大付へ進んで行く。高濱、松崎は横浜へ進むが、高濱は後にチームメイトとなりライバルとなる浅間大基とここで顔を合わせた。

 

命がけの戦い

 もうひとつ大きな戦いで勝利した選手がいる。父は巨人のプロ野球選手、所沢中央シニアで投手としてもバッターとしても注目されていた山崎福也は、名門・日大三への推薦入学を決めていた。いよいよ甲子園を目指せると意気込みを見せ、入学のための健康診断を受ける。体も大きく丈夫な山崎選手にとって問題ないものに思えていた。

 しかし、この診断で事態は急変する。脳に腫瘍が見つかった。しかもそれは手術をしても成功率10%という命にかかわるものだった。楽しみにしていた高校野球の前に大きく立ちふさがった壁、入学前に6時間に及ぶ手術をうけ、医師と山崎選手の力で10%の奇跡が勝利した。

 その戦いに勝った山崎は5月には他の選手とプレーできるほど回復をしていた。命がけの戦いを繰り広げた山崎福也は高校、大学で栄誉を手にしプロへの階段を一直線に上っていく。

 

 世の中はリーマンショックと呼ばれる経済の激動が始まる中、将来の光を目指す選手の目は、遠くの輝きを見ていた。

(つづく)


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