ドラフト総決算2011 ~第3章~

選手コラム

 2010年10月28日のドラフト会議では斎藤佑樹が4球団から、大石達也が6球団から指名され、残りの中日は佛教大・大野雄大、巨人は中大・澤村拓一と大学生投手に人気が集中した。
 ドラフト会議の熱が冷め切らない12月15日、巨人が早くも動く。巨人・清武GMは記者会見を開き、2011年のドラフト会議で東海大・菅野智之投手を1位指名する事を表明した。巨人は2010年のドラフトで中大・澤村投手に対し、本人は逆指名を口にしないものの監督や周囲、メディアから希望球団をほのめかすなどの手法で他球団の手を引かせ単独指名に成功していた。菅野投手は実績、力ともにNO1投手という評価で12球団がマークをしていた。しかし巨人と非常に縁の強い東海大であり、何より原監督の甥という強い縁があり、2010年同様に巨人の単独指名か、と思わせるのに十分だった。

 年が明けて1月、各球団の第1回目のスカウト会議が開かれ、スカウトの方針が示される。早くから方針を明らかにしたのは広島と阪神。広島は1位で地元の野村祐輔投手を上位候補にリストアップ、阪神は投手ならば菅野を、野手ならば慶大・伊藤隼太を最上位にリストアップといいながら補強のポイントは主軸を打てる野手とし、伊藤隼太が本命であることを示唆した。他の球団も東洋大・藤岡貴裕投手、近大・中後悠平投手など大学生の名前が挙がり、今年もBIG3など大学生が中心のドラフト戦線が予想された。

 3月、野球シーズンの開幕となる社会人の大会、スポニチ大会が開催された。ベスト4に勝ち進んだ日本製紙石巻は比屋根渉、太田裕哉等の活躍でベスト4に進出、同じくベスト4に勝ち進んだJX-ENEOSの大城基志投手などが3月11日の準決勝で活躍し評価を挙げていった。そして神宮球場のJX-ENEOSと住金鹿島戦が終了したのが14:17、その約30分後に東日本大震災が発生し決勝戦は行われなかった。

 大震災は野球界にも当然影響を与える。プロ野球が紆余曲折の上、開幕が4月12日に延期された。センバツ大会も開幕するべきか、高校生も野球をやっていて良いのかという葛藤の中、開幕を決定する。創部2年目で甲子園出場を決めた岡山・創始学園の1年生野山主将が
 「人は仲間に支えられることで、大きな困難を乗り越えることができると信じています。

 私たちに、今、できること。それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦うことです。がんばろう、日本。」
と宣誓、高校生達の濁りの無いプレーに感動をもらった大会となった。
 そういう雰囲気の中、注目されたのは天理・西口輔投手、リリーフながら145kmをマークするなど速球派としての力を見せた。ベスト4に勝ち上がったのは、吉永健太朗、畔上翔、高山俊、横尾俊建の日大三、高城俊人、三好匠の九州国際大付、石井元、海部大斗の履正社、臼田哲也、佐藤大貢の東海大相模と、注目選手が集まったチームだった。決勝では九州国際大付と東海大相模が対戦し、東海大相模が昨年夏の準優勝の悔しさを晴らして全国制覇を成し遂げた。
 全体的に野手が活躍し評価を挙げた。高城俊人は捕手NO1の評価を受け、ドラフトで上位指名されることになる。日大三の4人の評価も高まり、1チームから4選手が指名されるか期待されるようになる。

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