松坂大輔投手とドラフト会議

選手コラム

松坂大輔投手が今シーズン限りで引退することが分かった。1998年に甲子園で春・夏連覇を果たし、その年のドラフト会議では日本ハム、西武、横浜の3球団が1位指名し、西武が交渉権を獲得していた。

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松坂大輔

1996年に横浜高校に入学した松坂大輔投手は、1997年の夏の神奈川大会・横浜商戦の9回裏、2−1の場面でリリーフ登板をすると、初球を打たれて同点とされ、なおもランナーを1,3塁の背負う場面でスクイズを警戒して外した球が暴投となり、わずか2球で逆転負けをした。自らの暴投で3年生の甲子園を消してしまい、そこから大きく変わる事になる。そして無敗伝説が始まった。

秋の神奈川大会を制すと、関東大会でも優勝し、明治神宮大会に出場する。その決勝で、この世代の双璧と言われた沖縄水産の新垣渚と対戦することになった。横浜高校には小池、小山、後藤、沖縄水産にも大城というスラッガーを擁し、先発した沖縄水産の宮里も好投手で、高校野球最高の試合となったこの決勝戦は5−3で横浜高が勝利、松坂大輔投手が完投した。

その後、センバツでは東福岡の村田、PL学園の上重と投げ合い、決勝でも関大一の久保康友と投げ合って完封で優勝し、記念大会で史上最多55校が出場した夏の甲子園でも、1回戦でノーヒットノーランを達成している鹿児島実の杉内に勝利すると、準々決勝では伝説の延長17回の死闘でPL学園に勝利した。

250球を投げた松坂大輔投手は、翌日の準決勝の明徳義塾戦では先発せず、寺本四郎投手の好投で8回表まで0−6と劣勢だったが、8回に4点を奪った横浜高校は、9回に松坂が登板し、146キロを記録して3人で抑えると、9回裏に3点を奪って7−6で勝利した。決勝では京都成章の好投手・古岡投手と投げ合い、史上初の決勝戦でのノーヒットノーランを達成して春・夏連覇を果たした。

インターネットがまだ広がっていない時代

1995年のWindows95の発売とともに、日本にもインターネットが少しずつ広まり、1996年にこのドラフト会議ホームページが誕生した。もちろん現在のようなSNSのようなサービスは無く、インターネットを利用している人もまだ少数という時代だった。

その次代では、現在のようにアマチュア野球と接することは非常に少なく、大学野球や社会人野球の情報は、スポーツ新聞の片隅に乗っている情報くらいしかなかった。1998年は大学に上原浩治投手、二岡智宏選手、社会人に福留孝介選手、岩瀬仁紀投手、小林雅英投手などの選手がいたが、一般の人がこれらの選手を知るのは、ドラフト会議直前にスポーツ紙に掲載されるドラフト候補一覧で初めて知るくらいだった。

その中で唯一、高校野球の甲子園大会だけが、一般の人が触れられるアマチュア野球だった。そして、その甲子園で松坂投手が起こした伝説と、その後の松坂世代の活躍、そしてインターネットの普及により、一気にアマチュア野球、アマチュア野球選手への注目が集まるようになった。

甲子園後に行われたAAAアジア選手権の日本代表はPL学園の中村監督が率い、松坂、寺本、新垣、久保、上重、杉内、村田修一という投手陣に、小山、実松という捕手、内野にも東出、赤田、吉本亮、外野に田中一徳、大島裕行という翌年のドラフトの目玉となる2年生がいたが、このような超豪華な代表チームの合宿は、いまだったら大勢のファンが押し寄せたことだろう。

松坂選手とドラフト

プロ野球は巨人を中心としていた時代で、リーグやチームによって大きな格差があった。そしてドラフト会議も非常に生臭く、アマチュア選手の獲得にドロドロしている時代だった。

1998年も逆指名ドラフトが行われており、大学・社会人の選手が逆指名で球団を選べる中で、大物高校生も入団したい球団を逆指名し、「在京セ」という言葉がよく聞かれる時代った。各球団とも逆指名を取り付けるためにいろいろなことをした。

平成の怪物と言われた松坂大輔投手もその只中にいた。上原、二岡、里崎、福留、岩瀬といった大学・社会人の選手達が逆指名で入団を決める中で、松坂投手も「在京セ」を希望し、その年に37年ぶりの優勝をした地元・横浜ベイスターズへの入団を希望した。しかし、松坂投手を指名したのは日本ハム、西武、横浜の3球団で、抽選の結果、西武が交渉権を獲得した。ドラフト時の松坂投手の苦笑いは、いまでも記憶に新しい。

その後、プロ野球、メジャーリーグでの活躍は省略するが、WBCでは1回目、2回目でMVPを獲得し、日本の野球の発展に大きな足跡を残した。そして、松坂世代という1998年の高校生選手達が大学に進むと各リーグで大活躍し、彼らが指名される2002年のドラフト会議では、新垣、和田毅、土居、村田、後藤、木佐貫、長田、久保裕也などが大きく注目された。アマチュア野球が高校野球だけではないことを、一般の人が知ることになった。

現在はドラフト会議で希望球団を口にする選手はほとんどいないように見える。そして、ドラフト会議時にメジャー行きを志望し、ドラフト会議での指名を断った大谷翔平選手が、日本のプロ野球を経て、今メジャーで大活躍をしている。

まだ日本というローカルの中で、どこに入団するかが重要だった時代。ドラフト会議でもタバコの煙が目立ち、今のようにショーアップされた形ではなく、薄暗い中でパンチョ伊東さんの声だけが響いたあの時代が、松坂大輔投手の引退でいよいよ幕を閉じた。

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