プロ志望届などプロアマの関係を正常化させた脇村春夫氏が野球殿堂入り

ドラフトニュース

元高校野球連盟会長の脇村春夫氏が野球殿堂入りをした。プロ志望届制度の導入、プロ選手による高校生の指導など、当時問題となっていたプロとアマチュアの関係の改善を大きく進めた。

プロ志望届

高校野球のプロ志望届は2004年にスタート、そのための交渉をプロ野球側と進めたのが脇村春夫高校野球連盟会長だった。

当時、高校野球部員はプロ野球関係者と接触することができず、「プロ野球選手の親と高校生の子がキャッチボールをすることすらできない」とまで言われるほど、プロとアマチュアの関係は厳しかった。脇村会長も「なぜ同じ野球なのにプロ選手が母校の後輩に声をかけられないのか。不自然でしょう」と考えていたという。プロ側によるアマチュア選手獲得が、特に獲得手段で熾烈だった。そのため、プロに行きたい選手はまず野球部を退部してから、プロ関係者と接触できるという形になっていた。

しかし、野球部を退部した選手が、喫煙や飲酒などで問題を起こしたり、進路について大学進学を口にしながらもドラフト会議で特定球団が指名して入団するという事がPL学園・桑田真澄選手、別府大付・城島健司選手などによって起こっており、高野連としては退部した選手という事で指導などの影響力を持つ事が出来なかった。

そのため、脇村会長はNPBコミッショナー・川島廣守氏と交渉を重ね、2003年にはプロ野球選手が高校生を指導できるシンポジウム「夢の向こうに」を開始すると、2004年には野球部を退部せずにプロ関係者と交渉ができ、プロ側にもドラフト会議で指名できる選手を明確にする「プロ志望届け制度」を明記した「新人選手選択に関する覚書」をプロ側と調印した。そしてこの制度は、2007年春にプロスカウトから金品授受をしていた問題が発覚した大学生にも適用され、それによって希望入団枠は廃止された。

明確なルールができた事で、以前のような殺伐とした、裏の動きが強かったドラフト会議は、現在のように落ち着く形となった。脇村氏はプロアマの壁を取り払うのに大きく貢献された。

脇村氏は「(理由が)あるとすれば、プロアマの問題を(解決に向け)軌道に乗せたことでしょう」と感激の面持ちで話した。03年に選手会と協力してシンポジウム「夢の向こうに」を開催しプロ選手が初めて高校生に技術指導。04年にはプロ側と「新人選手選択に関する覚書」に調印し、高校生のプロ入り正常化を実現した。

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