オリックスにドラフト1位指名された麦谷祐介選手、高校時代は健大高崎に入学したものの、部内暴力により一時は野球から離れることも考えていた。
SOSを出す
仙台出身の麦谷祐介選手は、小学校2年時に東北楽天アカデミーで野球を本格的に始めると、中学でも楽天リトルシニアでプレーし、当時の古川翔輝コーチは「第一印象はずいぶん場慣れした小学生だなと。リトルシニアができて初めてのチームだったので、メディアから取材を受けていたんですが、受け答えが流暢で度胸があるなと思いました。体はひときわ小さく、新入生で1、2番目くらいに小さかった。今とは別人ですけど、運動神経は抜群でした」と話す。
高校は強豪の健大高崎に入学した。しかし入学直後から2年生数人が1年生数人に対して暴力事件を起こし、麦谷選手も被害を受けていたという。高野連は1ヶ月の対外試合禁止処分をしたが、その後も部内暴力は続き、麦谷選手は父に「もう無理」とSOSを送った。
父の尚文さんは「部の練習中にグラウンドから家に連れて帰りました。今から寮の荷物をまとめて帰りますと。本人は耐えられるとは言っていましたが、僕は耐えられなくなったら連絡をくれと伝えていました。先のことは何も決まっておらず、本人がどうしても嫌なら、野球をやめてもいいと思っていました」と話し、地元に帰った麦谷選手に接した古川コーチも「当時の麦谷は野球はもういいという表情でした」と話した。
しかし、リトルシニアの部員の保護者に大崎中央高校の教員がおり、健大高崎で学年末テストを受けて1年生を修了した時点で大崎中央に2年で編入すると、同校の平井氏監督は「麦谷が入寮するタイミングで部員を集めて経緯を伝え、、一度決めた進路を変えるのは、すごく勇気のいること。そこを受け入れて一緒に頑張っていくのが大事だよねという話をしました。」という。麦谷選手も1ヶ月も経たないうちに、部員たちと仲良くなっていた。
3年時から試合に出場できるようになると、3年夏はコロナにより代替大会ではあったが、2試合で6盗塁をきめる活躍を見せ、富士大に進むと1年春からセンターのレギュラーとして活躍し、今年のドラフト会議でドラフト1位指名を受けた。
父は「本人はあの出来事について、今はどうでもいいんだと言っています。私自身も、もういいのかなと。今の状態になったことで、もう見返せたんだと思っています」と話した。
プロに入っても大活躍を見せて欲しい。
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