中日3年目の若松駿太投手、故・渡辺麿史スカウトに感謝のプロ1勝

中日ドラフトニュース

 中日の若松駿太投手がプロ3年目で初勝利を挙げた。福岡の祐誠高校出身で、2012年にドラフト7位で指名されたが、プロ入りには中日の故・渡辺麿史スカウトのスカウティングがあった。

プロ入り

 若松投手は福岡県の祐誠高校と、野球でそれほど有名なチームでプレーしたわけでもない。また180cmから143km/hの速球を投げていたものの、打たせて取るピッチングが持ち味で、多くの球団のスカウトが集まって注目するような投手でもなかった。

 しかし当時中日のスカウトだった渡辺麿史スカウトが熱心に若松投手を視察し、その強い下半身によるの粘りに注目して、ドラフト7位で何とか指名されプロ入りを果たしている。

 

父親のようなスカウトは・・・

 その渡辺スカウトは、中日で九州担当スカウトとし活躍し、中田賢一投手などの獲得に貢献してるが、2014年の2月に急性白血病のため57歳で亡くなった。若松投手にとっては「父親のような存在だった」と話す。

 高校生卒でドラフト7位指名という事から言えば、昨年には1軍に昇格して登板し、今年も先発で何度も好投して3年目の5月に勝利を挙げたという事は、大出世と言える。しかし、若松投手は「今はこの世にいないけど、ドラゴンズに入団させていただいた渡辺スカウトに早くウイニングボールを渡したかった。」と話し、1日でも早くプロ1勝を挙げて渡辺スカウトに恩返しをしたかった。

 高校時代に無名だった選手を発掘して球団を説得して獲得し、プロで1軍で勝利する投手となった、スカウト冥利に尽きる事だろう。

 驚くような速球は無いものの、チェンジアップを駆使して埼玉西武打線から8つの三振を奪う投球は、渡辺スカウトが思い描いたプロで活躍する若松投手の姿だったに違いない。

「今はこの世にいないけど、ドラゴンズに入団させていただいた渡辺スカウトに早くウイニングボールを渡したかった。しっかり投げられて良かったです」

 もちろん初経験のお立ち台でも、開口一番に恩人の名を挙げて目を潤ませた。全国的にはまったく無名だった福岡・祐誠高時代にその才能を見出し、何度も学校に足を運んでくれた渡辺麿史(たかふみ)元スカウトが、昨年2月に57歳の若さで死去。「父親のような存在だった」と振り返る。帽子のツバに故人の名を書き込んでマウンドに上がり、初勝利のボールを霊前に贈ることが、今できる恩返しだった。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
シェアする
ドラフト会議ホームページ2024 Draft home page

コメント

  1. 若松投手の活躍、成長に渡辺スカウトもきっと天国で喜んでいると思う。

  2. 泣かせるやんけ!