日大山形・奥村展征選手が本塁打にショートで美技披露、日大三・三輪昴平投手が149km/h記録

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 夏の高校野球、第6日目の第2試合では日大三と日大山形が対戦し、日大山形の奥村展征選手が日大三の大場遼太郎投手との対戦に挑んだ。

 日大山形のプロ注目遊撃手、奥村展征選手の第1打席は大場遼太郎投手。160cm台と小柄ながら140km/h中盤の速球を投げる。奥村選手はホップしてくるような速球の下にバットを入れて回転をつけるような打撃で、打球はぐんぐん伸びてバックスクリーン横の最深部のスタンドに入った。

 5回の3度目の対戦では大場遼太郎投手が144km/hの速球で追い込むと、足元に沈むスライダーで三振を奪い意地を見せた。その後は2四球を与えられ3打数1安打だった。

 奥村展征選手は守備でも他の選手とは格の違うようなプレーを見せた。2回は素早い送球で併殺を奪うと、5回は三遊間の深いゴロをスライディングしながら捕球し素早く立ち上がり、やや緩い送球となったもののダイレクトでファーストに送りアウトを奪う。8回にはセンターに抜けそうなゴロを捕球して軽やかにランニングスローを見せた。高校生らしく堅実にというプレーをクリアし、魅せる守備をしていた。アピールも十分だった。

 日大三は大場遼太郎投手が7回に連打で5失点しマウンドを降りる。代わった荻野佑真投手は141km/hを記録した左腕で力があったし、2年生で中学時代から期待されていた釘宮光希投手も速球と鋭い変化球で打者2人を打ち取った。そして2年生の三輪昴平投手も149km/hを記録、常時145km/hの速球と大きく鋭く曲がるスライダーを魅せた。

 日大山形の庄司瑞選手も185cmの長身から軽く投げて130km/h後半を記録し、まだ課題はありそうだが将来が楽しみな選手と感じました。7-1と点差の開いた試合だったが、見ごたえのある試合だったし両チームの素晴らしい選手達を見る事ができた。奥村選手はプロに行く選手だと思います。大場投手は大学でもっと経験を積んでプロを目指して欲しいですね。

 コンパクトに振り抜いた打球がセンターに向かってグングン伸びる。初回2死三塁で奥村が外角直球をバックスクリーン右に放り込んだ。  「手応え? ありました。チームを勢いづけたと思う。(チームの)柱としての意地があった」。ジャンケンで勝って先攻を選択、優勝候補・日大三相手に、狙い通りの先制パンチを見舞った。

 奥村の父・伸一さん(滋賀・甲西監督)は甲西3年夏の86年、開幕試合の三沢商戦で本塁打を放っている。父子の甲子園本塁打は日大三の吉沢父子(父・俊幸=71年春、子・翔吾=10年春)が記録している以外には見あたらない、希少な記録だ。

 親子・二人三脚でかけたアーチだった。山形大会は打率6割6分7厘だったが、12安打中、11本が単打で長打は二塁打1本だった。決勝を観戦した伸一さんが打撃フォームの欠陥を指摘。「足の上げ方を言われました。『そのままだと速い投手に対応できずに、ライナーばかりで大きいのが打てないぞ』と…」と奥村。右足を大きく上げて打つフォームを、上げてすぐに下ろすように調整した。

 「甲子園に来れば相手はどこでも同じ。甲子園はできないことまでさせてくれる夢の球場だから。自信を持って戦えた」  そう胸を張ったのが4番の奥村主将だった。初回2死三塁。139キロの直球を振り抜き、バックスクリーン右へ運んだ。「チームを勢いづけたい。柱としての意地があった」。この一発で試合の主導権を握った。

 奥村の父、伸一さん(45)は甲西(滋賀)が85年夏に初出場ながら4強入りし、「ミラクル甲西」と呼ばれた当時のメンバー。翌86年夏の甲子園では1回戦の三沢商(青森)戦で右翼ラッキーゾーンへ本塁打を放った。聖地での「親子弾」に、父は「スタンドインした息子は(自分より)上」と褒めたたえた。

 日大三はチームが成長するきっかけを与えてくれた存在だった。3月の練習試合で6―8と敗戦。スコア上は2点差の惜敗だが、奥村主将は「名前負けして弱気になった。完敗だった」と振り返る。そこからナインの目の色が変わった。

 毎週末1000スイングの振り込みに加え、近距離フリー打撃。打撃投手が通常より3~5メートル前から全力投球した球を打ち返すことで、球速に負けないようになった。当然、至近距離ではスイングをコンパクトにしなければ当たらない。この日の7回の猛攻も、全6安打が単打。さらに甲子園出場を決めた後は打撃練習の球数を普段の3分の1に減らすことで集中力を培い、その結果の集中打だった。全員安打の12安打に荒木準也監督は「本気でバットを振り込んできた結果、本物のバッティングになった」と評した。


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