阪神の育成ドラフト3位ルーキー・早川太貴投手(25)が、27日のDeNA戦(横浜スタジアム)でプロ初先発し、5回2安打無失点の快投でプロ初勝利を飾った。育成ドラフトで入団した新人が先発で勝利を挙げるのは球団史上初の快挙。国立の小樽商科大学から北海道北広島市役所に勤務し、クラブチームのウイン北広島でプレーを続け、そして独立リーグ「くふうハヤテ」を経てプロの舞台にたどり着いた異色の経歴を持つ苦労人が、ついに夢を掴んだ。
77球の熱投、足つりかけるも魂の5回無失点
「試合前はもう本当、緊張がすごかった。汗は止まらなかったんですけど、何とか粘れたかなと思います」。敵地のヒーローインタビューで、早川太貴投手ははにかんだ。初回、2回を三者凡退に抑える完璧な立ち上がり。4回には右足がつりかけるアクシデントで一度ベンチに下がるも、続投を志願。勝利投手の権利がかかった5回、2死三塁のピンチを迎えたが、最後は蝦名をこの日最速の143キロのストレートで空振り三振に仕留め、雄叫びを上げた。
7月16日の中日戦でプロ初登板を果たしたが、緊張から人生初のボークを犯し、ほろ苦いデビューとなっていた。「前回甲子園でうまくいかなかったので、今度こそ絶対やってやろうと」。その悔しさを晴らす、77球の熱投だった。
市役所勤務からプロへ異色の経歴を持つ「練習の虫」
その野球人生は、決して平坦ではなかった。大麻高校3年夏に右肘を骨折し、最後の夏を棒に振った。「あの時のつらさに比べたら練習なんて苦じゃない」。国立の小樽商科大学を卒業後、一度は野球を諦め北広島市役所に就職した。しかし、プロへの夢を捨てきれず、軟式と硬式のクラブチームを掛け持ちし、始業前の早朝から練習に明け暮れた。「プロのピッチャーとしてそのマウンドで投げるまではエスコンに行かない」。日本ハムの新本拠地が目と鼻の先にある環境で、自らを奮い立たせた。
そしてそこから芽が出始める。軟式でものすごい球を投げる投手がいると話題となり、地元の北海道日本ハムのスカウトなども視察をするようになる。そして硬式のウイン北広島では最速150キロを記録し、更に注目された。
プロ入りへの挑戦をスタートする。2023年の巨人の入団テストを受験するも、最終的に不合格となると、その都市からNPBのファームに新規参入したくふうハヤテに入団し、チームでは元プロの選手もいる中でエース格の投球を見せる。そして、2024年のドラフト会議の育成ドラフトで阪神から3位指名を受けた。「ハヤテで成長できたから今がある。僕が1人目として結果を出せれば後にも続いていく」。何度かの“引退危機”を乗り越え、不屈の右腕がプロ1勝を掴み取った。
西勇輝からの金言、進化した“魔球”ツーシーム
プロ初勝利を掴んだ背景には、先輩からの金言と、“魔球”の進化があった。春先、ツーシームの質に悩んでいた早川投手は、西勇輝投手に助言を求めた。「技術よりももっと先の事を考えて、安定した土台やボールをコントロールできるような練習をやった方がいい」。その言葉で目が覚めたという。「そこから思い切り腕を振れるようになった」。球速も約2キロアップし、この日も右打者を被安打0に抑え込んだ。
阪神の育成ドラフト出身投手で、プロ1年目で1軍デビューしたのは、今年の工藤泰成投手(育成ドラフト1位)と早川投手の2人だけ、そして早川投手がプロ初勝利を手にした。NPBのファームに参入した球団からの選手でも初勝利となり、NPBファームでプレーする選手にも新たな道を切り拓く選手となった。
「諦めないで頑張ってきてよかった」。ウイニングボールは、「なんとか1勝できたよ、と感謝を伝えて」両親に渡すという。ミスタータイガース・掛布雅之氏らが背負った背番号「31」を、投手として輝かせる。早川太貴の物語は、まだ始まったばかりだ。
早川太貴投手 プロフィール
- 氏名:早川 太貴(はやかわ だいき)
- 生年月日:1999年12月18日
- 出身地:北海道江別市
- 経歴:大麻高校 – 小樽商科大学 – 北広島市役所(ウイン北広島) – くふうハヤテ – 阪神(2024年育成3位)
- 投打:右投右打
- 身長・体重:185cm・95kg
- ポジション:投手
- 主な特徴や実績:国立の小樽商科大学から市役所職員、独立リーグを経てプロ入りした異色の経歴を持つ。2025年8月27日のDeNA戦でプロ初先発初勝利。球団の育成出身ルーキーとしては初の快挙。







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