社会人野球を退部する選手たち~その2~

社会人野球ドラフトニュース

社会人野球には毎年有望な大学生選手が入ってきて注目される。しかし、チームから退部する選手はあまり注目されない。社会人野球からの引退は多くの選手にとって、野球からの引退となる。2016年で社会人野球チームを退部した選手の紹介、今日はその2です。

東京ガス

平原庸多選手

平原選手は帝京時代から投手として140キロ中盤の球を投げ、野手としても鋭い打球をうち、50m6.0秒の足もある選手だった。3年夏の甲子園では怪物・伊藤拓郎投手が甲子園で登板した試合で先発をしており、平原投手も十分怪物だった。2年生には山崎康晃投手が、そして同学年には原口文仁選手がいた。

立教大では外野手に転向し、強肩外野手としてプロも注目、4年生では主将としてプレーしたもののプロ志望届を出さずに東京ガス入り、肩の故障などもあり思うような活躍はできず、3年でユニフォームを脱ぐことになった。

大阪ガス

梅津寛樹投手

山形中央高校時代に注目され、2008年のドラフトでプロ志望届を提出したものの指名漏れとなり王子に進んだ。王子では先発として好投を見せるなど期待を集めたもののその後は徐々に登板の機会は減った。8年間プレーし昨年は3試合に先発も結果を残せなかった。

日本新薬

沖野哲也選手

広島工業高校時代に高校通算48本塁打を放ち、東京国際大では伊藤和雄投手とバッテリーを組み大学野球選手権ベスト4に勝ち進んだ。当時の古葉竹識監督からも高い評価をされていた。

日本新薬に進むと外野手に転向も、中稔真選手や井澤凌一朗選手、久保田昌也選手などが加入し出場は減っていた。

JX-ENEOS

中野ジャスティン投手

181cmのスラっとした体からキレの良い速球を投げ、向上高校時代からプロが注目をしていた。関東学院大でも2年生で出場した大学野球選手権では初戦の東北福祉大戦で先発し8回4安打10奪三振3失点、試合は敗れたもののキレの良い球を投げていた。

その後故障などをしたが4年秋に復活投球をみせJX-ENEOSに進むも、社会人では活躍できず、2年間と短い期間での退部となった。

 

北原郷大投手

野球の名門ではない徳島県立穴吹高校から亜細亜大、JX-ENEOSへと進み、最速は152キロを記録した。JX-ENEOSでは主にリリーフとして登板し6年間チームを支えた。

引退される方は本当にお疲れさまでした。プレーを忘れません。そして他の環境でこれからもプロを目指して戦う選手はこれからも応援します!

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