ドラフト総決算2011 ~最終章~

第1章  BIG3の登場と2人の怪物
第2章  主役の交代と新たなライバル
第3章  2011年のスタートと震災
第4章  広島、千葉ロッテが動く!
第5章  熱戦甲子園とBIG3最終決戦

 

 ドラフト1位指名が発表される。下位の千葉ロッテ、横浜、東北楽天とBIG3の一人、藤岡貴裕の指名が続く。そして広島は5月に指名を公表していた野村祐輔を指名し、残りの球団に指名が無い事を祈る。オリックスは方針通り高橋周平を指名、阪神も伊藤隼太を単独指名した。埼玉西武は直前まで指名がわからなかったが単独指名を狙い十亀剣投手を指名した。

 続く読売、昨年の12月に指名を公表して以来、この名前を指名するまで長く感じたことだろう。ドラフト前には東海大・横井監督より、菅野には本命の球団がある、と発言させ、周囲からも巨人入りへの思いをマスコミに流した。何より東海大・原貢総監督、巨人・原辰則監督の血縁関係もあり、昨年の澤村拓一よりも万全の囲い込みで臨んだ指名に単独指名に自信を持っていた。

 そして続く北海道日本ハムの指名、沸き返る会場とは対照的に顔を曇らす原監督、そして清武GMの人生を狂わした瞬間だったといえる。「北海道日本ハム、菅野智之、投手、東海大学」
 広島は野村祐輔投手の単独指名を確信し笑顔を見せた。

 上位3球団は東京ヤクルト、中日が高橋周平選手を、福岡ソフトバンクも武田翔太投手を指名した。

 抽選で大学NO1の藤岡貴裕は相思相愛の千葉ロッテが交渉権獲得、高橋周平選手は中田スカウト部長の想いが伝わり中日が交渉権を獲得した。そして菅野智之投手は完全に同様をみせた読売・清武GMの手をすり抜け、北海道日本ハムが交渉権を獲得した。北海道日本ハムは春から指名を決めていたことを始めて話したが、菅野投手は記者会見で微妙な態度を見せ周囲からも「事前に指名の挨拶が無かった」と厳しい声が上がるなど、今後の交渉の難しさを感じさせた。

 読売は外れ1位で松本竜也を指名するも、横浜と再び抽選。NO1を獲得する読売において、高校NO1左腕を獲得し何とか面目を保ったものの、記者会見の時間になっても原監督はテーブルに座り込んだまま立ち上がれず、ショックの大きさを見せていた。
 その他抽選で外れた球団では東北楽天がJR北海道の武藤好貴投手を、オリックスは安達了一内野手を指名、東京ヤクルトは川上竜平選手をを指名と、数が揃う高校生投手を予想していた観客には以外に見えた指名を見せた。
 DeNAへの身売りが決定的となっていた横浜は北方悠誠を指名、その後、これでもかというほど素材型の高校生を指名、また地元神奈川の選手も指名し、オーナーの代わるチームに将来と地元密着を託した。

 センバツで活躍を見せた九州国際大付のバッテリー、高城俊人捕手は横浜がイの一番の2位で指名すると投手の三好匠は東北楽天が3位で指名した。夏に熱闘を見せた釜田佳直は東北楽天が2位指名、甲子園の申し子・歳内宏明は甲子園が本拠地の阪神に2位指名され甲子園に帰っていった。

 そして、11球団が選択終了を宣言し残った横浜が最後に指名したのは、帝京・伊藤拓郎だった。1年生の時に誰よりも上に評価されていた怪物は、ドラフトでは誰よりも最後に名前が呼ばれた。しかし、指名されたときに伊藤拓郎は感激で涙を流したという。伊藤にとって全体的に高校3年間は苦しんだ時期が長かっただろう。その戦いがようやく終わる。
 そして、ドラフト1位であれ9位であれ、プロという点では同じスタートとなる。今度は最下位からのチャレンジが始まるのだ。

ドラフト後の決断

 ドラフト後、2つの大きな決断があった。一人目は広島に4位指名された早大・土生翔平選手。広陵高校時に野村祐輔投手とチームメイトで準優勝を成し遂げた。大学でも1年生の秋からレギュラーに定着すると2年生、3年生では3割を超える打率を残し下級生ながらチームの主軸を打って来た。伊藤隼太と共に打者のドラフト上位候補として期待されていたが、4年の春に突然のスランプで打率が2割をきると最後のシーズンでも復活することができなかった。
 プロ入りは希望していたものの、4位以下ならばトヨタ自動車に進むことを決め内定をもらい、事実上プロ入りをあきらめていたのだが地元広島が4位で指名する。早大とトヨタ自動車の関係もあり悩んだが、野村祐輔が1位指名された広島で、その野村からも「一緒にやろう」と誘われ、プロ入りを決断した。

 そして、注目の東海大・菅野智之。北海道日本ハムの指名挨拶では授業を理由に出席しなかったが、その後記者会見し進路は自分で決定することを強調した。そして志望球団があることを理由に浪人をしてでも巨人入りを目指すことを決めた。

 北海道日本ハムの交渉権は来年3月末まで権利が続くが、これ以上交渉することはないだろう。BIG3がプロで揃うのは2012年以降という事になる。

 

「運命の」ドラフト会議

 ドラフト会議には「運命の」という言葉がよく付けられる。2011年のドラフトは「運命の」というものが印象的に写った。まずは抽選で多くの人の運命を動かした。プロ入りができなかった菅野投手、顔を曇らせた原監督、その後、別の件で渡邉恒雄オーナーと対立しGM職を解任される清武氏もこのドラフトに影響が無かったかというと層ではないと思う。スカウトたちにも最後まで指名方針を示さなかった北海道日本ハムの山田正雄氏には批判と賞賛の声が挙がっている。北海道日本ハムが来年以降もこの方法で続けられるかは定かではない。

 「運命の」という言葉は何も抽選の結果だけではない。高校野球で悲運を味わった野村祐輔や土生翔平が広島で一緒にプレーをするのも運命だし、1年生で148kmをマークし、釜田、北方、歳内などを成長させた伊藤拓郎投手が最後の最後に指名されたのも何か運命的なものを感じる。最後の夏を制した日大三の吉永健太朗や畔上翔、横尾俊建が全員進学を選択したことも運命だ。

 

 そんな中、一人の投手について最後に残したい。大阪教育大の153km右腕、山本翔投手。

 奈良・郡山高校時に144kmをマークしてプロから注目され、プロ志望届けを提出しドラフト指名を待ったが夢は叶わなかった。プロ入りをあきらめ教員免許を取るべく大阪教育大へ入学したが、リーグ戦で153kmをマークするなど19勝を挙げ、プロ複数球団が注目する投手となる。そして再びプロ志望届けを提出しドラフト指名を待ったが、またしもてプロからの指名が無かった。

 「プロに入るには何が必要なのだろう」 
そういう疑問を持つ選手は多いだろう。ドラフトを見ていても最も良い投球をしていたシーズンは指名されなかったが、その翌年に指名されたという選手も多い。その高い能力からプロ入りをあきらめることもできず、しかしプロに入ることもできず。
 本人の気持ちはわからないし、軽はずみな事は言えない。でも、ドラフト候補として注目されたことはすごい事だと思う。

 今後プロを目指すにしても、教員の道を進むにしてもそれ以外の道に進むにしても応援したい。

 希望球団に指名されずにプロ入りを拒否した選手がこれまでも多いが、プロ入りは多くの選手にとって憧れであり目標であることを忘れないで欲しい。

 いろいろな人の運命を目の当たりにした2011年のドラフトは、決して忘れることは無い。

(終)


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