ドラフト総決算2012 ~第3章~ 偶然から生まれたドラフト1位投手

関西国際大, 松葉貴大, 大体大, 松永昂大

 偶然から生まれたドラフト1位投手

 東京の東都大学リーグで東浜巨投手が入学したころ、関西の雄、大阪体育大にひっそりと入学した選手がいた。東洋大姫路高校でライトを守り、身長180cmを超える珍しい2番打者だった松葉貴大選手だ。

 松葉は高校に入学したときは大型左腕投手として期待を集めたものの1年でヒジを痛め、2年生からは外野手としてプレーしていた。同学年には140kmを越す速球で2年生で既にプロのスカウトが注目していた佐藤翔太投手がおり、東洋大姫路は強かった。

 3年生となった2008年には選抜に出場すると、佐藤翔太投手は28イニング連続無失点を記録、沖縄尚学・東浜巨投手とNO1投手を争っていた。そして準決勝、沖縄尚学vs東洋大姫路の対戦で4失点の佐藤に対し、東浜は2失点に抑えて勝利した。2番・松葉貴大は東浜の前に4打数ノーヒットに抑えられ、これがプロに行く投手なんだと感じていた。

 夏が過ぎ、東洋大姫路の選手は一度は東都も名門・東洋大への進学を考える。しかし、プロも注目していた佐藤翔太投手が東洋大進学を決めると、松葉選手は大阪体育大を進路に選んだが、結果的にここが人生の分かれ目になっていた。偶然はそこに待っていたのである。

 大阪体育大は2000年代に入ると、春、夏、どちらかでリーグ制覇をし春夏連覇も珍しくないほど黄金期を迎えていた。しかし、2007年に新興の関西国際大が右のエース・榊原諒がリーグ通算32勝、左のエース・伊原正樹がリーグ通算20勝という圧倒的な活躍を見せて春夏連覇を果たすと2008年春もリーグ制した。榊原は2008年のドラフト会議で北海道日本ハムに2位指名されると、伊原もオリックスの2位指名を受け大学を卒業すると、優勝から遠ざかった大体大は2009年に王座奪還に動く。しかし、関西国際大には二人に続くエースが育っていた。松永昂大投手だ。

 2009年春、松永投手のオープン戦での活躍を耳にした中野和彦監督は、松永攻略のための特訓のため、入学したばかりの左投げの外野手、松葉貴大を打撃投手としてマウンドに上げた。すると松葉投手は故障したヒジの影響もなく、180cmからの角度のあるストレートでバッターを詰まらせ討ち取っていく。この投球に中野監督は大体大復活を投手・松葉貴大に賭けた。リーグ通算31勝を記録しドラフト1位でプロ入りすることになる松葉貴大投手の誕生の瞬間だった。

 松永昂大投手は春季リーグ戦で4勝を記録し、春季リーグ3連覇を決める。秋季リーグ戦も松永は無双を続け、7勝1敗を挙げチームを連覇に導いた。しかし、唯一の1敗は大体大戦のもの、そしてその相手は1年生・松葉貴大投手だった。

 世間は新型インフルエンザが猛威を振るい、その影響でリーグ戦の試合中止が続く中行われた2009年10月22日の大体大vs関西国際大、松葉貴大vs松永昂大の両左腕が先発すると、3回までに1失点づつの意地の張り合いとなった。打たせて捕る松葉投手に対し、松永投手はストレートとスライダーで三振を奪っていく。7回に1点を失ったのは松永投手、そして試合は2-1で大体大が勝利した。

 松永投手は2戦目に連投で先発し勝利を挙げたが、1勝1敗の3戦目は松永は投げず松葉投手が先発し勝利、大体大が勝ち越して完全優勝を阻んだ。松永投手は7勝でMVPとベストナインに輝いたものの、投手の防御率1位のタイトルを松葉貴大に譲った。

 今後長く続くであろう、松葉、松永の因縁の対決はここからスタートしたのだった。そしてそれは偶然によるものだった。

 続く


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