2013年ドラフト総決算~それぞれの決意・2007年~

小林誠司, 大瀬良大地, 吉田一将, 松井裕樹

 2013年ドラフト会議、始まりは2007年にそれぞれの野球選手の誓いからスタートする。吉田一将、小林誠司、大瀬良大地、松井裕樹などがドラフト1位へ進んでいく、6年間のストーリーが始まる。

2007年夏

 青森山田高校はこの年の夏、4年連続甲子園出場を決める黄金期で、トップバッターとして活躍していた近藤龍義選手と、主軸を打った中西純平(亜細亜大→NTT西日本)に注目が集まっていた。甲子園は仙台育英の佐藤由規投手が155km/hを記録して騒がれた年、1回戦で報徳学園を完封、2回戦では聖光学院と対戦するも4-6で敗れた。背番号13をつけた190cmの投手、吉田一将に登板の機会は無く甲子園を去った。

 その甲子園でベスト4に進んだのは、田中健二朗や戸狩聡希投手を擁してセンバツで優勝した常葉菊川、野村祐輔と小林誠司のバッテリーを中心に勝ち上がった広陵、そして快進撃を見せたのが延長15回再試合を勝ちあがったミラクル佐賀北、そして継投で勝ち上がった長崎日大だった。準決勝では佐賀北が長崎日大を下したが、当時、長崎日大の1年生だった大瀬良大地はスタンドでこの試合を目に焼き付けた。

 決勝に進出した広陵と佐賀北、伝説の試合となる。4-0で8回を迎えた裏、野村祐輔が1アウト満塁のピンチを迎えると、佐賀北の応援団だけではなく甲子園全体が佐賀北に声援を送る状態になっていた。小林誠司捕手はマウンドに駆け寄り、そして再びマスクを付ける。甲子園の雰囲気に審判も飲み込まれていく。

 カウント1ボールから投げた制球が命の野村祐輔投手のストレートが小林誠司の構えた外角低めに決まるがボールと判定される。そしてカウント1ストライク3ボールから同じく外角低めの小林のミットに納まるが、ボールと判定され押し出しとなってしまう。野村は苦笑いを浮かべてベンチの方を向きアピールをするが、小林誠司は抗議はしなかった。

 そして続くバッターの1-1からの高めのスライダーは小林捕手のミットに納まる事はなくレフトスタンドに飛び込む。4-5、逆転満塁ホームランだった。悲運のエースと言われた野村祐輔投手の横に小林誠司捕手は立っていた。

 

2007年秋

 2007年のペナントレースが終わり、10月21日、新横浜投擲練習場に小学校6年生の選手が集められた。12球団ジュニアトーナメントに出場する横浜ベイスターズジュニアに選ばれた選手の初練習だ。背番号1は甲斐綾乃投手、女子選手に背番号1が与えられ松井裕樹投手は背番号10番だった。しかし大会では1回戦の阪神ジュニア戦と、2回戦の中日ジュニア戦で先発したのは松井裕樹投手、決勝トーナメントに進む事はできなかったが、エースとしての活躍を見せた。

 甲斐綾乃投手はその後、蒲田女子に進むと、2013年の全国女子硬式野球ユース選手権大会では準優勝、遊撃手のベストナインに選ばれている。

 

 2007年ドラフト会議では大阪桐蔭・中田翔選手、仙台育英・佐藤由規投手、成田の唐川侑己投手がBIG3として注目され、ドラフト1位でプロの世界に進んでいく。広陵の野村祐輔投手はプロも注目したがプロ志望届を提出せずに明治大へ進学を、また小林誠司捕手は同志社大へ進学、また吉田一将投手は190cmの長身が、東都1部に昇格を決めていた日大の鈴木博識監督の目に留まり日大へ進学を決めた。

 

それぞれの決意

 甲子園優勝に手が掛かっていながらも、キャッチャーミットからスルリとこぼれていった小林誠司捕手は、大学での全国制覇を誓う。吉田一将投手は190cmまで成長したが、その成長の為にまともな練習ができずにケガも多く、大学ではケガをしない体を作る事を誓った。

 先輩が甲子園で活躍しながらも準決勝で敗れて涙する姿を目に焼き付けた大瀬良大地投手は、「自分が優勝する」と誓う。

 そして、松井裕樹投手はプロ野球のユニフォームを着て、全国の同世代の選手とふれあい、世代NO1になる事を目指す。 

 

 こうして2013年ドラフト戦線が早くもスタートした。 <続く>


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