田中将大投手、あの夏から7年間で駆け抜ける。100勝目はメジャーリーグで

選手コラム

 2006年夏の高校野球は、決勝で延長15回引き分け再試合となった、ハンカチ王子・斎藤佑樹投手と怪物・田中将大投手が投げ合った。その年の秋にドラフト会議で北海道日本ハム、オリックス、横浜、東北楽天に1位指名されてから7年、田中将大投手は一気にプロ野球を駆け抜けた。

 

波乱万丈の高校生まで

 田中投手は小学校時代に巨人の坂本勇人選手とバッテリーを組み、坂本選手が投手で田中選手はキャッチャーだった。ポジションがそれぞれ変わったものの、共にプロ野球の主力としてプレーする二人が同じチームにいたということから、既になにか持っている感じがする。

 その後、宝塚ボーイズで投手として関西南の選抜チームに選ばれるなど注目され始め智弁学園への入学が決まっっていたが、監督の交代によって事情が変わり入学を断念せざるを得なくなってしまう。そしてチームメイトに同行して北海道の駒大苫小牧を見学した時に、翌年全国制覇を成し遂げる事になるチームの佐々木孝介主将(現駒代苫小牧監督)に惹かれて入学を決めることになる。今となっては智弁学園も、全国制覇のチャンスを逃した形となった。

 

 波乱の中で入学した駒大苫小牧だが黄金期を迎える。田中が入学した年の夏に北海道初の全国制覇を成し遂げると、翌年には2年生となった田中投手も主にリリーフとして優勝に大きく貢献し夏2連覇を果たす。田中投手の最終学年となり、秋も順調に勝ち上がりセンバツ大会に出場を決めて優勝筆頭候補だったが、3年生が卒業前に飲酒をしていた事が発覚しセンバツ出場を直前で辞退する事となってしまう。

 そして夏、駒大苫小牧は甲子園の決勝まで勝ち進み初の3連覇に手が届きかけたが、延長15回の引き分け再試合のあと、斎藤佑樹投手に敗れて甲子園が終わった。波乱に富んだ高校野球までの野球人生だ。

 

プロに入ってからは一気に駆け上がる

 しかし、プロに入ってからは一気に駆け上がっていく。1年目で11勝を挙げ、野村監督からは「神の子、不思議な子」と名づけられる。投球内容はストレートの威力に頼っていてまだ粗く、勝つのが不思議と野村監督の目に映った。最初は反発もあったとは思うが徐々にそれも取り入れ、WBCでダルビッシュ有や松坂大輔投手と繋がり、同期の前田健太、澤村拓一、坂本勇人とも繋がって成長していく。

 2009年には15勝6敗、2011年には19勝5敗、そして2013年には24勝0敗、100勝に1つ足りないものの7年間で99勝(35敗)の成績を残し、創部まもなかったチームを日本一に導いた。

 

100勝目はメジャーリーグで

 高校野球、プロ野球でそれぞれ優勝を経験し、残したものはもう何も無い。プロ100勝目はメジャーリーグで達成するだろう。波乱に満ちた高校時代と、一気に駆けていったプロ野球、メジャーリーグではどんな田中投手を見せてくれるだろう。まだまだ何かやってくれる投手だと思う。

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