ドラフト総決算2012 ~第12章~ 決断の秋

選手コラム

 選手たちの決断

 多くの野球選手は高校、または大学を卒業する時に野球を卒業する。別の目標に向かって歩み始める。それから比べれば、プロに行くか、メジャーに行くか、大学に進学するか、社会人に進むかを判断するなんて、結局、野球が続けられるのだからうらやましい決断と言えるかもしれない。でも、数年で野球を断たれてしまうかもしれない厳しい世界に足を踏み入れるのはよほどの覚悟が必要。ドラフト候補だからこその決断もまた大きい。

 法政の多木裕史、坂出高校から法大に入ると1年生の春にショートのレギュラーを獲得し打率.341、12打点を記録、大学野球選手権では15打数10安打で打率.667で首位打者となってから、大学日本代表のショートと言えば多木というのが定着した。

 4年間、8回のリーグ戦で打率3割以上を4回も記録、残りの4回のうち、.286、.292と申し分なく、自分も周りも大学からプロ入りのストーリーを描いていた。2年春の.238は成長途中の課題と言えたのだが、4年春の.125に言い訳ができなかった。突然の大スランプに陥ったのはプロを意識した最終学年という事もあった。結局このシーズンの成績を理由に監督と話し合ってプロ入りを断念、トヨタ自動車入りを決めた。決断をして以降、持ち前の打撃を取り戻し、最後の秋は.381と自己最高打率を記録、春に危うくなったリーグ通算100安打も達成した。やっぱりプロへの重圧があったのだろう。社会人で重圧にも打ち勝つ強い自分を作ってからのプロ入りを選択した。プロ入りする以上にリスクを取った事になるかもしれない。しかし、2年後にプロが間違いなく評価してくれる自分になれる事を信じて、多木は決断した。

 同じく東京六大学、慶大の阿加多直樹も決断をした。阿加多は3年生になってから正捕手に定着し、4年生の春に打率.447を記録して首位打者となった。活躍をし始めてまだ2年、しかし打てる捕手という価値があると判断した。阿加多にも多くの社会人チームから声がかかったが、その誘いを断ってプロ志望届けを提出するのだった。周りやプロの評価なんて関係ない。次にドラフト候補になることができるかなんてわからない。挑戦できる時に挑戦する、阿加多はそう判断した。

 パナソニック・秋吉亮もプロから注目されたサイドスロー投手。サイドから148kmを記録する投手はプロにもなかなかいない。大学時代から高い評価は伝わっていたし、タイプとしての価値も高い事を知っていた。しかし秋吉はチームに残留する。チームからの要請があったとも言われるが、もう1年、社会人でプレーし力を伸ばす道を選択した。

 九州学院には3人のドラフト候補がいた。スラッガーの萩原英之、リードオフマンの溝脇隼人、左腕投手の大塚尚仁。この中で1年生から4番を打ち、甲子園で清原以来の1年生4番のアーチをかけた萩原には当然高い評価がされていた。しかし、萩原は大学進学を決断する。そして、溝脇、大塚はプロ志望届けを提出する。3年間チームを引っ張り続けた3人は、別の道を進むこととなった。

 

 東浜、大谷、藤浪の決断

 6月に東芝から内定をもらっていた亜大・東浜巨投手、最後のリーグ戦前の早稲田との練習試合、東浜は3回7失点という投球を見せた。亜大・生田監督は「大学レベルでは抑えていますが、おそらく、プロでは打たれるでしょう。」と話し、アマチュアの指導者の道を示す。高校でセンバツ優勝をしてから目標はプロ野球としてきた東浜投手、プロ入りを夢見て頑張って積み重ねた記録たちが、疲労という形でプロの夢を断とうとしていた。

 東浜は自分を試す。本当にここで終れるのだろうか。自分が納得してプロ入りをあきらめられるなら、その決断を受け入れ、もうひとつの夢であるアマチュア野球の指導者の道に進む。そしてラストシーズン、序盤は球速も伸びず苦しみながら戦っていたが、國學院大との試合、7回からの3イニングで7奪三振を記録、中大戦でも沖縄の後輩・島袋洋奨との投げ合いで1安打11奪三振で応えて完投勝利を挙げる。これで東浜はここで終わる事はできないという決断をするのだった。

 共にドラフトの目玉候補として注目された、大谷翔平・藤浪晋太郎。18U世界選手権後の二人の考え方はハッキリと分かれた。

 藤浪晋太郎は2度目の日本代表のユニフォームを来た事から日本代表への憧れを持ち、将来WBCで日本を背負って世界で戦う為に、日本のプロ野球入りすることを迷いなく決めていた。一方、大谷翔平は高校初の160kmを記録した選手として、常に先駆者で有り続けたいと思うようになる。世界と戦い、上のレベルにまだまだ沢山の選手がいることを感じて、世界で戦う道を思い描いていた。そして、高校生から直接メジャーに挑戦する道をドラフト直前の10月21日まで迷いながら決断した。

 18歳の高校生が決めた決断だったが、この決断は野球関係者に大きな衝撃を与えた。そして、この決断はプロ側にも決断を迫る事になる。

 

 球団の決断

 ドラフト会議ではプロ側も大きな決断を迫られる。選手の指名によって数年間のチームの状況が変わってくる事さえある。チームの状況、現場の意見、他球団の動向を判断材料に選手をポイントでランキングし、順位を決めていく。一見、機械的で事務的な処理に見えるが、スカウトに取ってはこれまで見続けて高い評価をし続けた選手を候補から外す決断をしなければならない事もあり、悔しさや寂しさをかみ殺しながらの、思いのこもった作業なのだろう。そして、その思いは3人の選手へ集約されていく。

 多くの球団は、大谷、藤浪、東浜の3人のうち誰を指名するのかを決めかねていた。それには理由が3つある。一つはこの3人の評価が甲乙つけがたいという事、どの球団も3人を同等に評価していて他球団の予測が立てられなかった点、そして、大谷翔平の動向だった。多くの球団は決断を先延ばしする中、地元という価値観を評価して阪神とオリックスが藤浪晋太郎を選択する。続いて、東京ヤクルトが、ケガのリスクのある東浜、勝利としての実績が挙げられていない大谷と比べて、疲労が少なくケガがなく、春夏連覇という実績を持つ藤浪晋太郎の指名を決めた。巨人と一足早く藤浪指名を決めた3球団の抜けた残り7球団には、藤浪を指名すると「少なくとも4球団以上の抽選となる」という新たな重みが加わり、均衡状態は硬直化していく。このバランスは、大谷翔平の決断まで保たれる事になる。

 

 バランスは一気に崩れる

 そして10月21日、バランスは7球団にとって悪い方向へ崩れる。大谷は国内球団の指名を拒否しメジャー挑戦を明らかにした。それによって、プロ側の決断が一気に始まる。福岡ソフトバンクは地元出身の東浜を選択する。埼玉西武、横浜DeNAも実績を評価し東浜を選択する。そして、北海道日本ハムは他球団に予想外の決断を下す。大谷翔平選手の指名を決断する。それは強行指名などではない。純粋に高校1年生の時から追いかけ続けてきた一途な想いのようなものだった。そして、客観的にNO1の選手を指名する北海道日本ハムの方針に過ぎない。昨年はこれによって1位指名に穴をあけてしまったのだが、そのリスクを取っても大谷選手を獲りたかった。

 ドラフト直前、広島は単独路線に切り替える。毎年競合を避けているわけではないが、前田健太、岩本貴裕、今村猛、そして野村祐輔と単独指名した選手が戦力となっているケースが目立ち、そう思わせる。そして今年も切り札として、森雄大の指名をドラフト前日に表明し他球団をけん制する。例年よりも遅い単独指名宣言だった事が、今年のドラフトの難しさを示していた。

 ドラフト当日を迎え、会議の直前、ドラフト1位を決めた球団があった。東北楽天・星野監督はドラフト会議の会場に向かう野村監督とエレベータ内で、その事を示唆するのだった。

 続く

スポンサーリンク
スポンサーリンク
ドラフト会議ホームページ2020 Draft home page

コメント