2014年ドラフトストーリー ~その4:それぞれの路へ~

島袋洋奨, 有原航平, 山崎康晃, 石田健大

 2014年ドラフト会議で指名された選手104人にまつわる2008年からの6年間の物語。

選抜以後

 センバツの、寒い季節の熱い戦いが終わり高校3年生はいよいよ最後の夏に向かっていく。センバツを制した興南は春の九州大会も制し2010年の公式戦無敗を続けていた。常勝チームとなると当時に気の緩みも生じてくる。それが起きないように我喜屋監督は洗濯、片づけ、食事の準備などを野球部全員が公平にやる、というルールを作っていたのだが、島袋達3年生それを破る。

 これを見つけた我喜屋監督は激怒した。島袋達3年生を謹慎としグラウンドに立ち入り禁止にした。3年生はグラウンド以外でキャッチボールをしたり、グランドの周囲のゴミ拾いをして心を入れ替えた。また夏の大会1回戦でも熱い沖縄で用具の片づけなどを後輩にやらせ3年生はバスの中で涼んでいた。これも監督に見つかり、球場から学校までの約4kmを罰として走って帰るように命じられた。

 常勝チームの中でも危うい高校生の心の動き、それを必死に監督が食い止め、興南は夏の甲子園にも出場を決めた。

 九州では長崎・海星の江越大賀は春の大会では敗れたもののNHK杯では推定130mの特大ホームランを放ち、スラッガーとしての才能を開花させるとともにプロのスカウトの注目を集める。しかし甲子園に手は届かなかった。

 秋に熱き戦いを見せた中国地方に、また新たな選手が登場した。広島工・石田健大である。石田は野球部部長から教えられたスライダーを自分のものにすると、広島県大会初戦の庄原実業戦で7回ノーヒットノーラン、四球1つの準完全試合を達成、これで勢いに乗ると広島大会を制し、中国大会でも3試合22回を2失点、一気に中国の頂点に上り詰めた。

 他にも山口では南陽工の岩本輝、岡山では岡山東商の星野大地が急成長を見せる。ケガから復活を目指す岡山理大付の薮田和樹や石見智翠館の戸根千明など盛り上がりを見せていた。

 夏の広島大会、その石田は準々決勝で広島観音高校に11失点して敗れる。広島を制したのは決勝で如水館を完封した有原航平の広陵だった。

 近畿地方ではスカウトが何度も何度も顔を揃えていた。履正社の山田哲人、PL学園の吉川大幾、天理・中村奨吾といった内野手の評価をするためだ。それぞれ長打力があり、足があった。守備も急成長を見せていた。お互いに意識もする。大学に行くと進路を決めていた中村だったが、それでも山田の事は気にしていた。

 甲子園に出場を決めたのは履正社の山田、天理の中村、勝負は甲子園に持ち越しとなった。

 

2度目の戦い

 センバツに続いて2度目の戦いが始まる。夏の甲子園、初戦を突破して勢いづいたのは早稲田実業と佐賀学園、早稲田実業は西東京大会で山崎福也の日大三を破った日大鶴ケ丘を倒して甲子園に出場、4番・小野田俊介を中心としたチームだった。また佐賀学園はエースの峰下智弘が巧みな投球を見せ、打っても3番として活躍を見せた。

 島袋の興南、一二三慎太の東海大相模も勝ち上がったが、広陵が聖光学院の2年生・歳内宏明に食われた。150km/hも期待できると評価されていた有原航平はやや調子を落としていたものの8回を1失点に抑えるピッチングを見せた。しかし歳内は広陵を完封、優勝候補の足元をすくった。

 また初戦の注目カードとなったのは履正社vs天理、山田哲人と中村奨吾の直接対決となった。山田哲人は3打数2安打、中村奨吾は3打数1安打、しかし山田はランダウンプレーでサードから果敢に走ってホームを陥れ、その素質を見せつけるのだった。

 センバツで21世紀枠で出場し大敗を喫した山形中央は、夏は山形県を制して出場する。2年生の横山雄哉は再び甲子園のマウンドに立ったものの、甲子園は横山を受け入れてくれなかった。九州学院に6回7失点で敗退、まだまだ全国で勝つ力が無いことを感じ、翌年の甲子園1勝を目指す。

 その履正社を聖光の歳内が再び食う。しかし準々決勝、興南には歯が立たず島袋の前に敗れた。一二三慎太の東海大相模との対戦となった島袋の興南は、13-1という大勝で春夏連覇の偉業を成し遂げ、高校野球の幕を閉じた。

 

それぞれの路へ

 熱い戦いを終え進路が注目されるようになる。島袋のプロの評価は大きく割れていた。左腕で140km/h後半を投げて鋭い変化球があり春夏連覇の実績、しかし背は高くなくトルネードのフォームはプロで通用するのか。島袋は心の中に将来のプロ入りという強い思いを持ちながら、沖縄の先輩・東浜巨投手と同じ路を選択し、中央大学に進む事を決めた。

 そして有原航平もまた大学進学を選択する。体が大きく球速もある有原の進学にプロのスカウトは肩を落としたが、それでもまだまだ成長できると信じての大学進学の選択だった。広陵の丸子達也、山田哲人と内野手を争った天理の中村奨吾も早稲田大進学を決める。山田哲人とPL学園の吉川大幾はプロへ進むことを決め、異なる路を進む事になる。

 東京の日大三・山崎福也も大学進学を決める。打撃への注目が集まっていたが投手としての将来の可能性を信じていた。帝京の山崎康晃はプロ入りを志望する。怪物・伊藤拓郎の登場でやや出番が少なかったものの、登板する試合では結果を残しており、自信を持ってのプロ志望届けだった。

 2010年のドラフト会議は斎藤佑樹、大石達也、福井優也の早稲田勢がドラフト1位を占めた。有原航平や中村奨吾は早稲田のユニフォームを着てインタビューを受ける姿を思い描いた。

 その早稲田の投手を獲得できなかったチームが山田哲人など高校生を指名してゆく。吉川大幾、一二三慎太、戦った同学年の選手がプロへと羽ばたいていく。しかしその中に山崎康晃の名前は無かった。またしても日の目を見られなかった山崎康晃は、大学でエースをつかむことを誓う。しかし取った進路は東浜巨投手がいる亜細亜大、またしても厳しい先発争いの中に身を投じる事になる。

(つづく)


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