福岡ソフトバンクが育成ドラフト1位で指名した日本学園の古川遼投手が、入団せずに大学に進学することを表明した。
球団では33年ぶり
古川遼投手は190cmの長身右腕投手で最速144キロの速球を投げ、高い素質を持った投手として注目されると、ドラフト会議では福岡ソフトバンクが育成ドラフト1位で指名をした。
入団には支障はないと見られており、古川投手も11月上旬には福岡筑後市のファーム施設を見学、入団に向けたメディカルチェックも行っていたが、支配下指名で無かった悔しさや、現在の評価や状態でプロ入りして大丈夫なのかという不安から、心境が徐々に変化していった。 永井編成育成本部長も、「そういう思いが出てきたと聞いていたので、環境がそろっているのでぜひという話をしていた」と話し、筑後の訪問の際に心境の変化をキャッチし相談をしていたというが、11月16日に本人から正式に入団辞退の連絡があったという。
この日の入団辞退の発表は、日本学園の野球部部長名で各マスコミに通達された。永井本部長は「残念ですが仕方ない。本人の意志がそういうことであれば」と話し、古川投手の入団辞退について取材を受けた。発表が12月に入ってからとなった事について永井氏は、「学校側がどういう対応で出されるかに合わせて対応した。学校が頻繁にプロを輩出しているわけではないので、どういう対応をするかで時間を要したのでは」と話した。
ドラフト会議で指名を受けた選手が入団を拒否するのは、2016年のドラフト会議で北海道日本ハムに6位で指名された山口裕次郎投手(履正社高)がいる。ドラフト4位以下であれば社会人に進むとしており、その後、JR東日本に進んだが、2022年に野球部を引退して現在は駅員となっているという。
また、球団では1991年に福岡ダイエーがドラフト4位で指名した三井浩二投手(足寄高)が入団を辞退して新日本製鉄室蘭に入社し、その後、新日本製鉄広畑で活躍して2000年のドラフト会議で逆指名枠で西武に入団した。
球団としては33年ぶりの入団辞退となったが、永井氏は「本人もドラフト迎える前に当たっては支配下でも育成でもプロでやりたいという気持ちは持っていたと思うんですけどね。ドラフトが終わった後、いろんな思いがあって、自分の中で考えたときに大学に進学したいということだったので」と話し、「どうしても悔しさだったり、気持ちの整理がつかなかったのでは。4年間大学で鍛えて上位指名でいきたい気持ちが強かったのかな」と続けた。
「今回は彼が、育成じゃ行かないと言っていたところに強引に指名にいって、やっぱり無理かという形ではない。ただ、選手の思いは当然揺れ動いたりするでしょう。その辺は調査を深めてやっていきたい」と話す。ソフトバンクは4軍までチームを編成する形で、多くの選手を抱えることになるが、選手が多くなる分育成の目や手が届かなくなったりしないようにする必要があるほか、1軍までの道のりが遠くなることから選手のモチベーションを維持するための取り組みも必要となる。
古川投手は「ソフトバンクさんに1位指名をもらえるような、素晴らしい投手となる」とコメントを出した。永井本部長も、「素材がいいので引き続き4年後に」と話し、次は2028年のドラフト会議での指名が注目される。
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