ノーヒットノーランまであと1球、千葉ロッテ・古谷拓哉投手の諦めない野球

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 千葉ロッテの古谷拓哉投手が昨日のオリックス戦で7回まではパーフェクト、9回2アウト2ストライクまでノーヒットノーランペースという快投を見せた。古谷選手は2005年の大学社会人ドラフト5順目で千葉ロッテに指名された。

 日本通運時代の古谷投手を何度も見ていたが日通に良くいるタイプの投手で、ハッキリしたストレートの速球や変化球のキレといったものはなく、のらりくらりと試合を作るタイプの投手で先発でもリリーフでも登板していた。

 しかし、都市対抗で5回無失点の好投を当時のボビー・バレンタイン監督が見て指名を決めたという。駒大岩見沢で甲子園に後一歩の北海との決勝戦でサヨナラ暴投で敗れ、駒大に進んだものの野球サークルでプレーしていたが、1年秋に野球部に入部したとのこと。そんな経緯があった事は知らなかった。

 プロでも2006年に1回だけ先発登板をしたもののほとんど活躍が無く、2010年の春は今シーズンで活躍できなければ引退して打撃投手となる事を伝えられると、その年は中継ぎとして58試合に登板した。しかし昨年はわずか10試合の登板に終わり今年も引退の危機だったが、先月のファームの試合でノーヒットノーランを達成、1軍に上がるとこの試合でノーヒットノーランへ後わずかの好投を見せた。

 なんという綱渡り感だろう。31歳となり、社会人でプロ入りした選手がここまで残っていたことも奇跡に近いかもしれない。しかし高校時代の悔しい思い出とその後1年間野球を離れた事が、この粘り強さに繋がっているのかもしれない。

 素質や実力、実績ももちろんだが、人との出会いや幸運もプロ野球選手になるために、プロ野球選手として活躍するために必要なものなのだろう。反対に実力がありながらプロ入りできなかった選手の方が多いのだろう。

 でも諦めず続ければ良い事がある、希望を持たせる古谷投手の好投だった。

 そう振り返った左腕だが、波瀾(はらん)万丈の野球人生を送ってきた。駒大岩見沢3年夏にエースとして南北海道大会決勝に進出。0―0だった9回2死二、三塁で自らが投じたカーブが暴投になり、北海にサヨナラ負けを喫した。消したくても消えない記憶。このショックから、進学した駒大ではあくまで遊びで軟式野球サークルに所属。週1回の練習に行くか行かないかで、野球とはほぼ縁を切った生活を送っていた。

 そんな時、高校時代から治療を受けていた鍼灸(しんきゅう)師に「野球をやるならまだ間に合うぞ」と言われた。揺れる胸中。「自分でもこのままじゃ駄目だと思っていた」。

 1年秋に硬式野球部に入り直した。ただ、リーグ戦では通算1勝7敗。社会人野球の日本通運時代には05年に1度だけ都市対抗に出場。三菱ふそう川崎戦で5回無失点とした好投が、当時ロッテで指揮を執っていたボビー・バレンタイン監督の目にたまたま留まり、同年の大学・社会人ドラフト5巡目でロッテ入りする「幸運」に恵まれた。

 サイドスローに変えるなど試行錯誤を重ねたが、09年まで1軍登板はわずか5試合。当時の球団フロントは10年シーズンで結果が出なければ、打撃投手に転向させることを通達した。

 ところが、同年に中継ぎとして58試合登板。首はつながったが、その後も1軍に定着できないまま月日が流れていった。

 最後にようやく出た本音。「せっかくだからノーヒットノーランはやりたかった」。それでも笑顔。あと1球で快挙を逃したのも、ある意味ではらしかったのかもしれない。

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