2014年ドラフトストーリー ~その10: 決して真っすぐではない104本の道~

 ドラフトストーリーもその10、最終回です。2014年夏から、そして10月23日を迎えます。

約束

 済美・安楽にとって約束の期限は迫っていた。「160km/h」、「夏の甲子園優勝」、「ドラフト1位でプロ入り」、いよいよ3度目のチャレンジの時を迎えた。球速は招待試合や練習試合で140km/h後半まで回復をしていたが、安楽は無理をせず、甲子園にピークを持っていくように調整をしていたのかもしれない。

 夏の愛媛大会が始まって間もない7月24日、3回戦の東温vs済美、安楽は先発をすると140km/h前半ながら大きなスライダーを駆使して4回まで無失点に抑えた。しかし5回にスクイズで1失点すると、6回にはこの日最速の148km/hの速球を痛打されて2失点、打線もいつもの力を出せずに1-4で敗れた。

 これで安楽の済美のユニフォームを着ての高校野球は終わりを迎える。160km/hはこれからでも約束を果たせるだろう。しかし夏の甲子園優勝の約束は果たす事はできなかった。上甲は力なくも安楽の頭をなで、「肘も痛いのによく投げた。上に行って頑張れ」と言葉をかけた。

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 高橋光成も昨年熱い戦いをした場所へ向けた戦いに挑む。フォームは昨年に近い状態になり行けるという気持ちもあった。しかし7月20日の3回戦の健大高崎戦、通算50本を越すホームランを放ち、足で相手をかき回す脇本直人は小学生の時の幼馴染だった。その脇本にホームランを浴び、連覇の夢は砕け散る。しかしその幼馴染に甲子園の優勝の約束を交わす。

 浦和学院の小島和哉も3回戦で姿を消す。横浜高校は高濱はやや調子を取り戻し3本塁打を放って準決勝まで勝ち上がる。今大会を最後に横浜高校のユニフォームを脱ぐ小倉部長を甲子園に連れていく、その思いで最後にチームはまとまりを見せた。それでも準決勝の山場・東海大相模戦、浅間のタイムリー等で追い上げたものの3-5で敗れる。

 高濱、浅間の高校野球は2度の甲子園出場という結果となった。そして最後の夏に小倉部長を甲子園に連れていく事が出来なかった。高濱は「チームに迷惑をかけ続けた3年間。悔しいです」と話す。浅間は号泣し立ち上がる事もできなかった。号泣するナインをねぎらい、小倉部長はユニフォームを脱いだ。

 もう一人名将が勇退を表明する。九州国際大付・若生正広監督だ。清水優心の他に古澤勝吾も監督を驚かすような急成長を見せ、西日本短大付・小野郁など強豪を破って甲子園出場を決めた。若生監督は甲子園で2度の準優勝をしているが優勝はしていない。九州国際大付史上最強チームと呼び声もあがるチームは、若生監督を優勝監督にしようと甲子園に乗りこんだ。

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 甲子園大会が始まる。1回戦、優勝候補にも挙げられた九州国際大付は東海大四の西嶋亮太に抑え込まれて敗退する。若生監督は「みんなが監督を日本一にと言ってくれたが、それがどれだけ大変か今日で分かったのでは」と話す。これからプロに進むであろう古澤勝吾、清水優心、そして来年も戦う選手たちに、若生は厳しさを教えチームを離れた。

 この大会で注目されたのは、盛岡大付の松本裕樹、そして智弁学園・岡本和真、そして明徳義塾の岸潤一郎、しかし松本裕樹は岩手大会の時点で右肘を痛めており、甲子園に入ってからノースローを続ける。東海大相模は持ち前の経験を活かして抑えたものの、最速150km/hの速球は見られなかった。続く試合で敦賀気比に大量失点して降板し、甲子園から姿を消した。

 4度目の甲子園となる岸潤一郎は初戦で岡本和真と対戦する。強力打線に対し失点は覚悟していた。しかし味方が相手投手を攻略すると思っていた。岡本和真には2安打を許したものの2つの三振を奪う。味方は10点を奪い圧倒した。2回戦、今度は大阪桐蔭と対戦する。岸潤一郎は9回5失点と好投をしたしかし1-5と点差をつけられて9回を迎える。そしてランナー一人を置いて岸潤一郎の打席を迎える。1年生で4番を打ち、4度の出場を果たした甲子園の申し子は、その甲子園最終打席でホームランを放つ。自分を迎えてくれた甲子園に感謝を込めた一発だった。

 甲子園で注目されたのは北陸の左腕だった。富山商・森田駿哉のピッチングにスカウトが目を見張る。140km/h中盤の速球と鋭いスライダーは、ドラフト1位候補としてもおかしくない内容だった。しかし、評価するのが遅かった事を悔やんだ。森田は既に法政大進学を決めていた。

 

 高橋光成と2年連続群馬勢優勝の約束をした健大高崎は、脇本直人選手を中心とした機動破壊で甲子園を席巻する。足で相手をかき乱した。ベスト4まで勝ち上がった健大高崎だが、大阪桐蔭に足を封じられる。というより足を気にすること無く選手の力で勝負した大阪桐蔭に敗れた。

 優勝したのは大阪桐蔭だった。1番主将・中村誠、3番サード・香月一也、エース・福島孝輔、2008年に福岡ソフトバンクホークスジュニアで出会った3人が、最後の夏の頂点に立った。藤浪晋太郎の優勝を見た春に大阪桐蔭に入り、自分たちの力で甲子園優勝を約束した。2008年のチームメイト、小野郁、高濱祐仁、松崎健造、彼らが目指した夢と共に、6年間の月日の中で成長し、今、約束を果たした。

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 そして9月、済美・上甲監督が亡くなった。安楽のとの「160km/h」、「ドラフト1位でプロ入り」の約束を見る事はできなかった。安楽は葬儀で弔辞を読む。

 「監督さん。監督さんを日本一の監督として、甲子園で胴上げをしたかった。」 

 「入学した時、監督さんと、三つの約束をしましたね。一つは甲子園優勝。二つ目は球速160km/hを出すこと。三つ目はドラフト1位でプロ野球にいくことでした。その二つの目標は果たせなかったのですが、今、三つ目の目標に向かって歩んでいます。」と続く。

 監督の前で、3つ目の約束を果たすため、プロ入りを表明した。

 

活躍と複雑な気持ち

 都市対抗野球、新日鐵住金鹿島の横山雄哉と石崎剛は、別のチームのユニフォームを着ていた。全足利のユニフォームを着た横山雄哉は、0-2となった8回に登板し打者6人から5三振を奪う快投を見せた。そして石崎剛は富士重工のリリーフとしてストレート一本で勝ち上がる。150km/hを越す速球で抜群の投球を見せ、それと同時にプロの評価も上がっていく。富士重工は準優勝を果たす。しかしやはり住金鹿島のユニフォームを着てここまで来たかったという思いは隠せなかった。

 秋も二人は好投を見せ、プロからの評価はぐんぐん挙がる。しかし日本選手権予選でも敗れて出場を逃す。結果的に新日鐵住金鹿島としては、都市対抗も日本選手権も出場する事はできなかった。チームはプロ入りならばどちらか一人という判断をしており横山雄哉にはチーム残留を要望していた。

 しかしプロ入りは横山の夢だった。話し合いを持ち会社もプロ入りを承認した。

 三菱日立パワーシステムズ横浜の野村も都市対抗で先発して勝利すると、続く試合でも試合は敗れたがリリーフとして好投を見せる。スカウト達も評価を最上級へと格上げした。同じチームの福地元春もプロ入りに向けて必死だった。

 九州共立大の後輩である大瀬良大地はプロ1年目で勝ち星を挙げ続け、秋には10勝を記録した。そしてヤマハに進んだ同学年の竹下真吾も150km/hの速球を投げプロ複数球団から注目される選手になっていた。福地元春は秋に行われたプロとの交流戦でも全力でストレートを投げ続けた。

 しかし以外な決断をした投手もいる。新日鐵住金鹿島も加藤貴之、2013年からのドラフト候補で今年は実績もありプロ入りが確実視されていた。しかしドラフト前にチームに自ら残留を伝える。何を思い決断をしたのか、関係者のみが知るのだろう。

 

波乱

 多くのドラフト1位候補の名前が挙がりながらも、最終的に有原航平が頭一つ抜け出る評価をされていた、大学生のドラフト戦線、最後の最後に波乱が待っていた。

 代表入りを意識していた有原航平は、選考に漏れて代表入りする事ができなかった。そして8月、練習試合で右肘に違和感を感じる。ここへきて大学生最後の砦だった有原航平が姿を消す。明大の山崎福也、国学院大の田中大輝も代表チームでの戦いの疲労と故障により登板ができない。そして亜大の山崎康晃も初戦の登板後の態度に監督が再び激怒し、先発から外されてしまう。ドラフト目前のこの状況に、スカウトもさすがに肩を落とし、そして迷いを生んだ。

 ドラフト前の登板で有原は復活の登板をしたものの、肘をかばった痛々しい投げ方だった。

 中央大の島袋洋奨は最後のシーズンも厳しいマウンドだった。春まで出ていた球速も140km/hをきるようになり、制球も変わらずだった。しかし大学4年間の最終のカードとなった青山学院大戦、島袋は6回を4失点に抑え1年ぶりの1勝を挙げた。この投球がプロにつながるか、誰にもわからなかった。

 

1位を決める12球団

 プロ12球団、秋まで1位指名公表は無かった。有原の地元である広島、同じく有原をマークしていた巨人も指名を公表しない。ドラフト前々日にも社会人投手の練習試合に多くのスカウトが押し寄せた。それだけ最後の最後まで迷っていた。

 そして10月10日、広島が地元の有原航平投手の1位指名を公表すると、埼玉西武は2年夏の優勝投手・高橋光成投手の1位指名を公表する。そして阪神が安楽投手と迷った末に有原航平投手の1位指名を決めた。

 中日は野村亮介投手、オリックスも左腕を優先し山崎福也投手の1位指名を決める。東京ヤクルトは安楽智大投手を最上級の投手と評価し他球団が指名しないことを願った。福岡ソフトバンクも安楽、有原を回避し松本裕樹投手の1位指名を決めた。

 そして巨人はドラフト直前まで指名選手を迷う。有原航平など投手が必要だったが、投手の候補は毎年出るが野手の1位候補はなかなか現れないと智弁学園・岡本和真選手の指名を決めたのはドラフトの直前だった。

 

10.23

 実際の1位指名は次の通り。

 東京ヤクルト:安楽智大、東北楽天:安楽智大

 横浜DeNA:有原航平、埼玉西武:高橋光成

 中日:野村亮介、千葉ロッテ:中村奨吾

 広島:有原航平、北海道日本ハム:有原航平

 阪神:有原航平、オリックス:山崎福也

 読売:岡本和真、福岡ソフトバンク:松本裕樹

 有原航平に4球団が指名、安楽智大には2球団が1位指名し、安楽は上甲監督との約束を果たす。東京ヤクルトは単独1位指名ならず、テーブルでは苦笑いが浮かんだ。有原航平は北海道日本ハムが、安楽智大は東北楽天が当たりくじを引く。

 次の1位指名では東京ヤクルトが竹下真吾、横浜DeNAが山崎康晃、広島が野間峻祥、阪神が山崎康晃を指名する。再び抽選を外した阪神は、横山雄哉を指名した。

 福岡ソフトバンクホークスジュニアの小野郁は東北楽天の2位、香月一也は千葉ロッテの5位、高濱祐仁は北海道日本ハムの7位で指名された。浅間大基は北海道日本ハムの3位、清水優心は北海道日本ハムの2位で指名される。

 そして中央大・島袋洋奨は福岡ソフトバンクが5位で指名した。

 

ゴールはまだ先に

 10月23日が終わり、多くの選手の笑顔が報じされた。しかし、そこには報道されなかった多くの涙を流す姿があったのだと思う。2008年、その前からプロを目指した選手たちの戦いはひとまずここで終わる。

 しかし、元プロスカウトはこう話す。

 「プロ入りにゴールを置いているのではだめ、プロで活躍することをゴールにしている選手がプロで活躍する」

 ドラフト会議で指名された選手も、指名されなかった選手も、「プロで活躍する」というゴールにはまだだれ一人たどり着いていない。104人の指名選手のうち、育成ドラフトで指名された東海大相模の佐藤雄偉知は、社会人で再びプロ入りを目指す道を選んだ。

 多くの選択があり、それぞれに出会いがあり、約束をし、夢を見て、そして別れ、また選択する・・・。さまざまな想いを胸に、決して真っすぐではない道を進む104人の姿があった。

 その道が2014年ドラフト会議という場所に一つに束ねられたが、それは本当に一瞬だった。道は再び広がり、それぞれの道を進み始めている。

 おわり

 

あとがき

 今年は103人がプロ入りしました。この103人がドラフト候補となる事はもうありませんが、今後もプロ入り後の活躍等を書いて行けたらと思います。

 そしてドラフト会議は2015年に向かってスタートしています。ドラフト会議ホームページも2015年ドラフトに向けて、多くの選手の活躍や想いを伝えたいと思います。

 1996年の第32回ドラフト会議の情報をまとめてスタートしたドラフト会議ホームページは、2015年の第51回ドラフト会議でいよいよ20回目のドラフト会議と言う事になります。1996年というと、千葉ロッテの井口選手や福岡ソフトバンクの松中選手が指名された年で、多くの選手が引退したりとプロ野球を離れています。

 しかしその中に広島2位・黒田博樹投手の名前がありました。専修大出身で、大学で球速表示が始まっていらい初の150km/hを記録(正しいかは不明)したと紹介していた黒田投手が、日本に復帰するのは非常に感慨深い事です。

 1年間ありがとうございました。また1年間頑張ります。


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