埼玉西武で引退の佐藤勇投手、指導者に向けて走り出す

埼玉西武球団ニュース

埼玉西武で昨年オフに戦力外となりユニフォームを脱ぐことを決めた佐藤勇投手は、1か月以上悩んだ末に、指導者になりたいと引退を決断した。

波乱の5年間

佐藤勇投手は福島県光南高校出身で、高校時代は181cmの大型左腕として10球団以上から注目された投手だった。3年夏は準決勝で聖光学院と対戦し、来年のドラフト候補である岡野祐一郎投手(現東芝)と投げ合っている。その年のドラフト会議で埼玉西武に5位で指名されプロ野球選手となった。

西武では2年目の2015年にウインターリーグに参加、3年目は2軍での登板機会も増えた。しかし9月にイースタンリーグの千葉ロッテとの試合で肘井竜蔵選手の画面に死球を与えケガを負わせてしまった。

2016年には初の1軍昇格を果たすと5月24日に先発し、5回3安打3奪三振無失点の好投を見せてプロ初勝利を挙げ、7月にはフレッシュオールスターに出場するなど成長を見せたが、8月に自動車運転中にバイクと衝突事故を起こし厳重注意を受けた。2017年は1軍での登板がなく、オフに戦力外通告を受けた。

指導者の道を選択

まだ23歳でもあり、プロ初勝利してから1年での戦力外という事もあり、「まだやれるという思いもあって」と1か月以上悩んだという。しかし、かねてより「指導者になりたい」という思いがあり、引退をして野球塾も経営をしているGSLで働くことを決めた。GSLは元プロ選手の小野剛氏が社長をしている。

また指導者になるために、アマ指導資格回復試験を受け、さらにトレーニングコーチの勉強も始めたという。「プロという、野球の世界のトップでプレーすることができた。この経験を子どもたちに伝えていくのも義務だと思うんです」と話し、「震災が起きたとき、何も出来なかった。自分は福島で育った人間。何か1つでも貢献したい。地元ともっとつながりを持ちたい。将来的に、指導者という形でそれが出来たら、本当にうれしいです」と話した。

またもう一つ思いがある。母は小学1年時に父が他界してから女手ひとつで育ててくれた。プロ野球選手に入ることで少し恩返しはできたが、贈ることができたウイニングボールは、初勝利の1つだけだった。「プロになってあまり恩返し出来なかった。セカンドキャリアで毎年何か1つでも恩返ししていきたい」と話した。

地元福島の高校で野球を教えたいという大きな夢がある。「震災が起きたとき、何も出来なかった。自分は福島で育った人間。何か1つでも貢献したい。地元ともっとつながりを持ちたい。将来的に、指導者という形でそれが出来たら、本当にうれしいです」。

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