千葉ロッテ、2008年ドラフト1位・木村雄太投手が7年目初勝利

 千葉ロッテの木村雄太投手がプロ初勝利を飾った。木村雄太投手は2008年に千葉ロッテにドラフト1位指名されたが、高校時代、社会人時代に、「逆指名」、「入団拒否」、「金銭授受」など、ドラフト会議に関する問題と言われる事を行い、ドラフト会議の裏の寵児だったと言える。

2度の逆指名と入団拒否

 木村雄太投手は秋田経法大付属高校時代に190cmの身長から140km/h中盤の速球を投げる左腕投手として注目され、和製ランディと称された事もあった。当然プロ野球のスカウトは注目し、当時は広島カープがドラフト1位指名する事を明言するなど、獲得争いも白熱したが、本人はプロ入りを拒否し、東京ガスに進んだ。

 社会人でもその素質は注目され、3年目となる2006年には社会人日本代表にも選ばれるなど、成績も出し始めると、ドラフト解禁となった大型左腕に再びプロ球団が注目する。木村投手は「在京パリーグ」を逆指名し千葉ロッテ入りを希望したものの、当時は希望枠制度があったが千葉ロッテは高校生ドラフトで大嶺祐太投手を1位指名し、希望枠での獲得ができなかった。

 ドラフト当日は大学社会人ドラフトの1番目の指名となる横浜ベイスターズが木村投手を指名する。しかしドラフト後には、当時監督だった大矢氏など10人で指名あいさつをしたものの会う事を拒否するなど、頑なな姿勢で入団を拒否し、横浜も1月に交渉を打ち切った。

 

裏金とドラフト1位

 木村投手は翌年のドラフトで希望球団入りを目指していたが、2007年3月に西武より高校時代から270万円の裏金をもらっていた事が発覚し、日本野球連盟より1年間の謹慎と対外試合出場禁止処分を受けた。

 そして2008年、謹慎がとけると都市対抗にはJR東日本から補強選手で出場し1勝を挙げるなど活躍を見せ、2008年に千葉ロッテが1位指名した。2008年には逆指名制度は無く、現在と同じ制度となっていた。

 ドラフト会議の問題の縮図のようにも見える木村投手のプロ入りまでの経緯、2003年から2008年まで6年間を遠回りしたように見える。しかし木村投手は「あの事件のおかげで大人になれた」とも話している。

 

1勝まで

 2008年にプロ入りした木村投手は1勝がなかなか挙げられず、7年間を費やした。苦しい日々だっただろうが、プロ入り前の6年間がその年数を耐える力を与えたのかもしれない。

 ドラフト会議の事を扱うページの管理人としては正直言って嫌いな選手だが、プロ入り前、そしてプロ入り後も、これほどずっと期待をされ続けた選手はあまりいないのではないかと思う。実際に会った事は無いが、190cmの大型左腕という素質だけではなく、人間性の何かがあるのかもしれない。

 

 勝利の瞬間、涙はなかった。それでも、入団7年目でつかんだ勝利。木村は5回4安打1失点でプロ初勝利を挙げ、ベンチで味方と抱き合った。「長かった。7年かかりましたから…。やっと勝てたなという気持ちです」。ウィニングボールを手に、笑顔を見せた。


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