2017ドラフトストーリー(1)高校生の選手達

高校野球ドラフトニュース 2017年ドラフトニュース

2017年のドラフトは、清宮幸太郎選手、斉藤大将投手、田嶋大樹投手、藤岡裕大選手などが成長しアピールして夢を掴むストーリーを見せてくれました。高校生、大学生、社会人の選手ストーリーを振り返ってみます。 まずは高校生の選手達。

From 2011

同世代のライバルたちが顔を合わせる、毎年年末に行われる12球団ジュニアトーナメントに、全国から選抜された選手達がこの年も集まった。阪神ジュニアには元プロ選手のコーチ陣と同じ背丈を持つ背番号3をつけた選手がいた。安田尚憲である。大きな体と打球の速さに周囲を驚かせた安田選手だったが、チームは予選リーグのヤクルトジュニア、読売ジュニアに勝てず、決勝トーナメントには進めなかった。ヤクルトジュニアには櫻井周斗中島淳といった後に高校野球で名を挙げる選手が揃い、この大会で優勝を納めている。

他にも東北楽天ジュニアの西巻賢二、オリックスジュニアの西川愛也竹田祐、ソフトバンクジュニアの西浦颯大平元銀次郎なども出場し、これから中学、高校で戦っていく事になる選手達が顔を合わせた。これらの選手は各地の名門と呼ばれる高校に進み、主軸やエースとして活躍をしていく。

しかし、この大会に出場しない選手で、すでに全国に名が知られている選手がいた。北砂リトルの清宮幸太郎選手である。父親はラグビーの名将・清宮克幸氏で、幸太郎選手もすでに小学生とは思えない身体の大きさを見せていた。その清宮は中学1年の時、北砂リトルとして世界大会に出場しすると、決勝で推定94mの特大ホームランを放ち世界一に輝く。投げても世界の打者を寄せ付けないピッチングで、地元のメディアからもベーブルースの再来と注目された。

北砂リトルでは実に132本のホームランを打ち、あまりのホームラン量産でボールが無くなっていくため、父・克幸氏はチームにボールを寄贈をしたりしていた。この清美は調布リトルシニアでは目立った活躍は見せられなかったものの、中学2年時には掛布雅之氏の前で推定160mの場外弾を放ち、掛布氏が目を丸くして驚いたという逸話もある。系列の高校である早稲田実業では、早くから清宮の入学を待ち望む声が上がるほどで、OBの王貞治2世となる日が徐々に近づいていた。

高校1年

2015年4月の春季東京大会、神宮第2球場は観客が詰めかけ満員となる。お目当ては早稲田実のユニフォームを着た清宮だった。4月18日の関東第一戦、高校初ホームランは神宮第二のセンター方向のネットの中段より上に突き刺さる特大弾だった。それからも練習試合でホームランを打ち続けた清宮は、初めてとなる夏の大会を前に13本を記録していた。西東京大会ではホームラン0本に終わるものの甲子園デビューを果たした清宮は、東海大甲府戦、九州国際大付戦でホームランを放ち、”怪物”の印象を野球ファンに植えつけた。

そしてU18では大阪桐蔭の名将・西谷監督が4番に抜擢すると、木のバットで当時ドラフト候補として注目されていた大学代表の田中正義投手から、初打席で痛烈なセンター前ヒットを放つ。日本で行われたU18W杯では世界の投手を相手に力を見せられず、準優勝に終わり悔しさを味わった。オコエ、勝俣など3年生から、次回W杯での優勝を託された清宮は、2017年W杯を目標にもっと成長することを誓った。

高校野球の話題はすでに清宮を中心となっていた。しかし、その清宮にライバルと呼ばれる選手が出てくる。一人は龍谷大平安の岡田悠希、大きな体からパワフルな打球を見せていた。また、九州学院の村上宗隆もまた、1年春から名門チームの4番を打ち、夏初戦の第1打席でバックスクリーンへの満塁弾を放ち周囲の度肝を抜いた。

挫折

チームでは3年生のおかげでのびのびと、怖いもの知らずで野球をしていた清宮選手だが、その3年生が抜けると他校のマークは厳しくなっていく。1年秋の都大会では4本塁打を放ったものの二松学舎大附には抑え込まれチームは早々と姿を消した。その後、練習試合では3本しかホームラン数を伸ばせなかった。結局2015年は22本塁打で終わる、それでもすごい数字なのだが。

2年になると清宮のホームラン量産がスタートする。2016年初の練習試合は明治大の大学生と対戦し2本のホームランを放つと、3月の時点で高校通算35本まで伸ばす。その後も打ち続け2年夏の大会前には50号を記録していた。しかし春の都大会は2回戦で敗退、そして夏の大会も西東京大会準々決勝で八王子高校に敗れて甲子園出場を逃した。

清宮選手が出場できなかった甲子園では、同じ学年の選手が活躍する姿を見せていた。智弁学園の太田英毅、盛岡大付の植田拓はホームランを放ち、横浜の増田珠や明徳義塾の西浦颯大は3番を打ち、履正社の安田尚憲と花咲徳栄の西川愛也は4番で出場をしていた。作新学院は鈴木萌斗が守備や足、そして柔らかい打撃で決勝では2安打を記録し優勝に大きく貢献する活躍を見せた。小学校、中学校の時から確実に清宮を目標にしていたと思う選手達が甲子園で優勝を争う。出場しなかった清宮に、自分たちのプレーを見せつけるような活躍だった。

鶴岡東の吉住晴斗は初戦で敗退したものの、1イニングをに登板しノーヒット無失点で抑え、素質の良さを見せつけていた。甲子園のマウンドを経験し、3年生に向けて着々とステップを踏む選手もいた。

直接対決

そのライバルの姿を見て清宮が勢いづいた。8月からチームの主将になると、練習試合でホームランを量産する。8月を終わった時点で通算66本に伸ばし、3年生のセンバツ出場をかけての秋の大会に臨む。

秋季都大会では4本塁打、清宮選手にしては多くないといえる数字だが、主将としてチームを鼓舞し勝ち上がっていく。そして決勝戦は日大三と対戦する。そこには東京屈指の左腕に成長していた櫻井周斗がいた。高校生では打てないとまで言われるスライダーを投げる櫻井に、清宮のバットも空を切った。インコース低めに落とされるスライダーに5つの三振を喫し、後々まで語られる事になる屈辱的な結果となった。それでもチームは2年生の野村大樹選手の活躍で勝利して優勝し、センバツ出場を手にすると共に、明治神宮大会に出場を決めた。

明治神宮大会ではまず最初に立ちはだかったのが、静岡の池谷蒼大投手、櫻井投手と同じく140キロ中盤の速球とスライダーを投げる投手で清宮の真価が問われる対戦に注目が集まる。しかし清宮は痛烈な2安打を記録し、左投手に対する苦手を克服した。

次に対戦するのは福岡大大濠のプロ注目バッテリー、三浦銀二投手と古賀悠斗捕手のバッテリーだった。バッテリーは九州大会で大分商、鹿児島実、そして夏の甲子園ベスト4の秀岳館を完封し、明治神宮大会1回戦でも明徳義塾を完封していた。しかし清宮はこのバッテリーに勝負をさせない。独特の威圧感で4つの四死球を選び、1打数1安打で勝利に貢献した。

そして決勝、早稲田実vs履正社、東京と大阪の対戦も注目されたが、何より、東の清宮、西の安田と呼ばれる二人の対戦に注目があつまった。試合は初回からスタンドが沸き立つ展開となる。清宮は先にホームランを放ち、サードを守る安田の前をゆっくりと通り過ぎる。すると3回には安田が勝ち越しの3ランホームランを放ち、1塁の清宮の前を通り過ぎる。

その裏に清宮はタイムリーヒットなどで逆転に成功するが、その後は履正社が強力打線の力を見せ、11-6で勝利する。試合に敗れた清宮だったが、多くのライバルとの対決に笑顔を見せていた。

その後の練習試合でもホームランを放った清宮は2年生終了時点で高校通算78本まで記録を伸ばしていた。ホームランを狙う各地のスラッガーたちは、安田や植田なども、清宮のホームラン数に追いつくという目標は既に消えていた。

(つづく)

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