2002年創部から、初めて夏の甲子園決勝にたどり着いた健大高崎(群馬)が、智弁和歌山に3―4で惜敗し、初優勝にあと一歩届かず準優勝に終わった。主将の石田雄星外野手(3年)は1点を追う8回、一時逆転となる右翼への2ランを放ち、満員の甲子園を沸かせた。試合後に高校日本代表への選出も決まり、新たな舞台へと再びスタートを切る。
逆転アーチ、「今までで一番気持ちよかった」
集大成のスイングだった。1―2の8回1死二塁。石田雄星選手は、智弁和歌山のエース右腕・和気匠太投手(3年)の内角カーブを捉えた。滞空時間の長い美しいアーチは右翼ポール際に吸い込まれ、一時逆転となる今大会チーム1号の2ラン。応援団が集う三塁側アルプスへ右手を突き上げると、満員のスタンドは騒然となった。高校通算20号でもあった。
準決勝までの5試合でわずか2失点、大会初となる3度の「1―0」完封勝利を挙げ、チーム防御率0・20と投手力を前面に勝ち上がってきた健大高崎。1試合平均得点は2・8にとどまっていたが、大一番で「強打の智弁和歌山」のお株を奪う強烈な一発が飛び出した。「スタンドやベンチの仲間を見たら『お前なら大丈夫だ』と勇気をもらった。みんなが打たせてくれた」。打席での心境をそう明かした石田雄選手は「今までのホームランの中で一番気持ち良かったです」とかみしめた。
「野球をやる理由をくれた」白血病と闘う妹の存在
石田雄選手には「野球をやる理由」と話す、心の支えとなった存在がいる。7学年下の妹・惺来(さら)さん(11)だ。惺来さんは4歳の頃、血液がんの一種である急性リンパ性白血病を発症した。「全てが真っ暗になった。なんで妹なんだろう…」。長期入院を余儀なくされ、離れて暮らす日々が続いた。それでも一時退院の際には、石田雄選手がいつもそばに寄り添った。母千都世(ちとせ)さん(46)も「昔から仲が良くて、なかなか離れなかった」と振り返る。
野球の練習がきつくて嫌だと思っていた自分がちっぽけに思えた。妹の力になれば、と本気で「野球をやる理由」を見つけた。この夏の大会中には、家庭科の授業でフェルトを仕立てた青い“健大カラー”の手製のお守りが、妹から兄へと贈られた。石田雄選手は3年生部員の写真と家族写真を包み、バッグにつけて夏を戦った。毎試合のように、妹から届いたのは「頑張って」「ホームランを打って」というメッセージ。大一番で、その願いに応えた。「妹のおかげでここまでやってこられた。妹に感謝したい」。現在は寛解を維持している惺来さんも、母とともにスタンドで声援を送った。
初優勝は逃すも、高校日本代表で新たな挑戦へ
頂点まではあと一歩だったが、青柳博文監督(54)は「日本一になるまでの力はまだなかった」と悔しさをにじませつつ、「この悔しさを目に焼き付けて、自分自身も監督人生を賭けて夏の頂点を取りたい」と決意を新たにした。
まだ、石田雄選手の夏は終わらない。9月7日から台湾・台北市で開催される第14回BFA U18アジア選手権に出場する高校日本代表に、外野手として初めて選出された。「甲子園ではあまり見せられなかった自分の足を使える野球と、打率を残すという面でチームに貢献し、優勝に導けるように頑張りたい」と意気込む。話してみたい選手には、横浜の池田聖摩内野手(3年)と、智弁学園の角谷哲人捕手(3年)を挙げた。
石田雄選手は、「大学野球では自分がみんなを勝たせたい」と話し、大学に進学をしてさらに成長をする。そしてその先の姿を、妹に見せる日が来るだろう。
【石田 雄星】 プロフィール
- 氏名:石田雄星(いしだ・ゆうせい)
- 所属:健康福祉大高崎高校(3年)
- 出身:栃木県(佐野城北クラブ→小山ボーイズ)
- ポジション:外野手
- 投打:右投左打
- 身長・体重:171cm、76kg
- 主な特徴や実績:2008年12月16日生まれ。1年夏、2年春夏、3年夏と4度の甲子園を経験したチームの主将。今夏は「2番・中堅」として打率4割超を記録し、準優勝の原動力となった。6月の右手有鉤骨骨折を乗り越え、決勝では一時逆転となる高校通算20号の2ランを右翼席へ運んだ。9月開幕のU18アジア選手権に高校日本代表として臨み、卒業後は大学で野球を続ける。妹への思いを原動力に、さらなる飛躍が期待される。













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