3年ぶり15度目出場の東海大甲府(山梨)が、健大高崎(群馬)に0-1で競り負け、2回戦で夏を終えた。3番手として6回途中のマウンドに上がったエース右腕・村尾竜弦投手(3年)は、1点ビハインドの緊迫した場面で2回2/3を無安打無失点と力投した。かつて甲子園に届かなかった父と歩んできた右腕は、味方の援護に恵まれず涙をのんだものの、「父が立てなかった舞台に自分が立てて、この景色を家族全員に見せられて幸せ」と胸を張った。
1点を追う6回途中、無安打無失点の火消し
先発は甲子園初登板となった2年生右腕・籾山慶人投手(2年)だった。籾山投手は140キロ台の直球にカーブ、スライダー、チェンジアップを織り交ぜ、4回1/3を無失点と粘りの投球を披露。5回に先頭を三振に仕留めたところで降板した。
2番手には左腕・熊谷晄投手(3年)が上がったが、先頭に左前打を許すと四球で1死一、二塁とされ、4番打者に右前適時打を浴びて0-1と先制を許した。6回も四球と犠打、中前打で1死二、三塁とされ、ここで登板したのが村尾竜弦投手だった。
「最後苦しい展開になると思うけど、頼んだぞ」。仲沢広基監督(39)にそう託されたマウンドで、村尾投手は自慢の制球力を生かして後続を断った。「スイングが強い打者が多いので、外と内を使いながら、しっかりと真っすぐで押す投球ができました」。県大会とは異なる大観衆の中で、1球ごとに大歓声が響いた。「そういう場で投げられたのは本当にうれしく思います」と、聖地のマウンドをかみしめた。
父から託された夢、家族に見せた甲子園の景色
マウンドに立つまでの道のりには、父・高志さん(45)の存在があった。高志さんは横浜商大高のOBで、98年夏の東神奈川大会では4強入りしたものの、松坂大輔投手を擁する横浜の前に敗れ、甲子園出場の夢は絶たれた。その夢を託されたのが竜弦だった。小学3年で野球を始めると、朝6時から一緒に練習。走り込みにキャッチボールを重ね、中学からは夜に汗を流した。高校入学と同時に始まった寮生活でも、父はいつも電話で励まし続けた。
「父が小さい頃から自分と野球してくれて。その影響で野球が好きになった。お父さんや家族がいなかったら、ここまで来られなかったです」と、村尾投手は感謝を口にした。前日には父から「甲子園は祭りだ。楽しんで来い!」と送り出されたという。大観衆の前で自分の投球を全うし、「父が来られなかった舞台に自分が出て、その景色を家族全員に見せられて幸せ。この景色は忘れません」と晴れやかに語った。
あと一本遠く零敗、通算30勝はお預け
投手陣が3人で1失点にまとめる粘投を見せる一方、打線はあと一本が遠かった。序盤から毎回のように走者を出しながら、初回は1死三塁から中軸が凡退。3回は2死一、二塁、4回は2死満塁と好機を作ったが、健大高崎の投手陣を攻略しきれなかった。最終9回も浅野葵海選手(3年)の左前打で1死一、三塁と迫ったが、最後は岡田優心選手(3年)が三ゴロ併殺打に倒れ、反撃はそこで途切れた。
甲子園通算29勝としていた同校にとって、節目の30勝目はお預けとなり、11年ぶりの3回戦進出もならなかった。巨人OBの仲沢監督は試合後、「選手たちは最後まで粘ってくれた。最後まで必死に戦ってくれた姿がすばらしかった。感謝しかない」と教え子をたたえつつ、「中軸が打てなかったのが全て」と7安打無得点に終わった打線を敗因に挙げた。村尾投手は大学へ進学し、4年後のプロ野球を目指す。「またこの甲子園で投げられるように頑張ります」。父と描いた夢の続きへ、新たな一歩を踏み出す。
【村尾 竜弦】 プロフィール
- 氏名:村尾竜弦
- 所属:東海大甲府高校(3年)
- ポジション:投手
- 主な特徴や実績:制球力を武器とする東海大甲府のエース右腕。3年連続6度目の甲子園出場を果たしたチームで、2回戦の健大高崎戦では3番手として6回途中から登板し、2回2/3を無安打無失点と好リリーフを見せた。外角と内角を使い分け、直球で押す投球が持ち味。横浜商大高OBの父から甲子園の夢を託されて育ち、この先は大学進学を経て4年後のプロ入りを目指す。










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