2017ドラフトストーリー(2)大学生の選手達

2017年のドラフトは、清宮幸太郎選手、斉藤大将投手、田嶋大樹投手、藤岡裕大選手などが成長しアピールして夢を掴むストーリーを見せてくれました。高校生、大学生、社会人の選手ストーリーを振り返ってみます。今日は大学生選手編。

打倒松井に燃えた夏

2012年の高校生は大谷翔平や、春夏連覇を果たした大阪桐蔭の藤浪晋太郎など賑わいを見せ、2014年は安楽智大や高橋光成などが注目されていた。その中で2013年の高校生は不作と言われていた。

それでも中心選手は抜群に目立っていた。桐光学園の松井裕樹は2年生夏の甲子園で、1試合22奪三振などで話題をさらい、大阪桐蔭の森友哉は2年生ながら春夏連覇を達成したチームの守備の要と打線の主軸を任されていた。それでも不作という声は消えない。目立の二人が身長が大きくないという事もあったかもしれないが、この二人に続く選手の存在が目立たなかった事も原因だった。

その松井と森はドラフト会議でそれぞれ1位指名を受けてプロ入りする。また田口麗斗、和田恋、鈴木翔太などがプロ入りしていく中で、同じくプロ志望をした椎野新、髙橋遙人などはドラフト会議で名前が呼ばれる事が無く、舞台は次の場面に切り替わることになる。

しかしその中で打倒・松井裕樹に執念を燃やした選手がいた。同じ神奈川の桐蔭学園・斉藤大将と平塚学園の熊谷拓也である。斉藤大将は2年生の夏に先発やリリーフで大車輪をの働きを見せ、チームを決勝まで導く。そして決勝で松井裕樹と対戦したがこの試合で先発した斉藤は4回途中で7安打を許し3失点、マウンドを降りた。一方、松井裕樹はこの試合で15奪三振を記録し甲子園出場を決める。そして甲子園の22奪三振へとつながっていく。

もし決勝で勝っていたら、あの場面にいたのは自分だったのかもしれない。斉藤は打倒松井に燃える。3年生になった春、春季大会でエースとなった斉藤は決勝で再び桐光学園と対戦する。しかし決勝戦のマウンドに松井はいない。調子を崩しており甲子園に関係のないこの試合の登板を回避していた。斉藤はこの試合で完封勝利を挙げたが喜びは少なかった。「松井と投げ合って勝ちたかった」と話し、視線はすでに夏の大会へ向いていた。

平塚学園の熊谷も同じようにリベンジに燃えていた。2年夏の神奈川大会では斉藤の前の準決勝で松井と投げ合い、3-5で敗れた。そして秋、準々決勝で桐光学園と対戦すると、松井裕樹はセンバツ出場に向け、2安打12奪三振2失点のピッチングを見せた。しかし熊谷は桐光学園を1点に抑え松井に投げ勝つ。熊谷には松井キラーという称号が付くことになる。そして3年生、春の大会では共に打倒松井を目指す桐蔭学園の斉藤と準々決勝で対戦し、0-1で敗れたが、共に二人の視線は夏の大会での打倒・松井に向かっていた。

そしてその夏の大会が始まる。準々決勝、桐蔭学園の斉藤と平塚学園の熊谷は共に勝ち上がり、松井を待ち受けていた。しかし松井は横浜高校の2年生コンビに痛烈なホームランを浴び、号泣していた。そして対戦したのは打倒松井に燃えていた二人、8回まで2-2の投げ合いを演じた二人だが、9回裏、斉藤はサヨナラ負けの悔しさを味わった。5回戦の横浜創成館との対戦で延長15回を一人で投げぬき、翌日の再試合も先発して9回を投げきっていた斉藤は、ここで力尽きた。この投げ合いに勝った熊谷だったが、決勝で松井を倒した横浜高校に敗れ、甲子園の土を踏むことはできなかった。

松井がプロの世界に進む中で、斉藤は明治大、熊谷は法政大に進み、東京六大学と舞台に戦う事になる。

続くライバル対決

明治大に進んだ斉藤は、まずチームの投手陣の層の厚さに驚かされる。4年生に山崎福也、3年生に上原健太、2年生に柳裕也といった、後にドラフト1位指名でプロ入りする投手達がいた。しかしその中でも斉藤は1年目から存在感を見せる。春にリーグ戦登板を果たすと、秋にはリリーフで8試合に登板し2勝を挙げる活躍を見せた。しかし、先輩投手の層は厚く、2年生になり先発もしたものの主にリリーフとしての登板しかできなかった。3年生になり、侍ジャパン大学代表に選ばれるようになっても、大学では柳、星という1つ上の大投手がおり、先発として本格的に投げる事はできなかった。

一方、法政大に進んだ熊谷も1年生でリーグ戦で登板すると、2年生になると先発に抜擢され、春3勝1敗、秋2勝4敗の成績を残す。球速もぐんぐん伸ばし期待をされたが、3年生になると春0勝2敗、秋1勝3敗とつまづきを見せる。球速が出たものの制球を細かい制球ができずに痛打されていた。

その二人に先んじて東京六大学のエースとなっていた投手がいる。早稲田大の大竹耕太郎だった。甲子園でクレバーな投球を見せていた大竹は早稲田でも1年秋に4勝を挙げ、2年春4勝1敗の成績を残し早くも先発エースとしての格を見せていた。しかしその大竹も2年秋は1勝止まり、そして3年春、秋も不調で先発の機会が減っていく事になる。

その東京六大学ではある投手が注目を集めていた。東京大の宮台康平、東大のエースという事が注目を集めていたのは間違いないが、1年生の秋からリリーフで登板し、全国から選手が集まるチームの主軸をストレートで空振りを奪うピッチングで実力を見せていた。この宮台も湘南高校では打倒・松井、そして斉藤、熊谷にライバル心を持っていた。3年春にはベスト8まで勝ち上がり、東海大相模に0-3と接戦を演じていた投手だった。

その宮台は2年生秋の法政大戦で、目指していた相手の一角、熊谷と直接対決をする。法政大戦に先発した宮台は、6回を6安打6奪三振2失点に抑えると、同じく先発した熊谷は5回を投げて9安打5失点で先にマウンドを降りる。東大が法政大から勝利を奪う快挙だった。宮台は止まらない。3年生になると春のリーグ戦開幕の早稲田大戦で大竹と投げ合う。共に8回まで0-0の投手戦、9回表に大竹はピンチを背負い、リリーフにスイッチし無失点、その裏、宮台は2アウトまで取ったがサヨナラの1点を失い敗れた。しかしその投げ合いは互角だった。

次の週、今度は明治大戦、宮台は明治大のエース・柳と投げ合い、同じく8回まで0-0の投手戦を見せる。9回1アウトから1点を失い再びサヨナラ負けを喫したが、大エース・柳と互角のピッチングに評価もうなぎ上りだった。その後、宮台は立教大と法政大から勝利を奪い、2勝4敗の成績でこのシーズンを終え、大学日本代表に選ばれると、日米大学野球で先発を任され150キロを記録、東京六大学NO.1左腕と呼ばれるまでになり、斉藤、熊谷、大竹と肩を並べる存在になっていった。

東京六大学ではもう一人、注目される選手が出てくる。慶応大の岩見雅紀は、大学の練習グラウンドを視察した記者やファンには話題の選手になっていた。とにかく打球の飛距離がすさまじく、レフト後方のネットを越え、その後方にある保育施設に打球が飛び込むのではないかと懸念され、打撃は他の選手よりも後方で、しかも時間を制限されて行うほどだった。リーグ戦では3年春に4本、秋に3本のホームランを打ち、しかも打率3割の打率を残した。確かに長打力は凄かった。しかしそれでもまだ、翌年に東京六大学の通算ホームラン記録を脅かすほどになるとは想像していなかった。

不作の世代

高校時代に不作と言われた世代、確かに東京六大学での熱い戦いも見られていたが、上級生や下級生にポジションや成績を奪われていた。東都リーグでも同様に、亜細亜大の嘉陽宗一郎が1年で頭角を現したり、高橋遥人が150キロを記録したりしたものの、エースとして活躍する事はできなかった。その代わり、中央大の鍬原拓也や東洋大の飯田晴海が徐々に力をつけ、チームのエース格になったものの、全国大会での活躍などはまだ見られず、この世代の代表と呼ばれる選手はここにもいなかった。

関西では1年秋にリリーフで活躍を見せた立命館大の東克樹だったが、2年時は肘を故障してしまう。それでも3春には京大戦でノーヒットノーランを達成するなど3勝2完封でMVP、最優秀投手となっていた。それでもまだ本人は、実力ではプロには行けないと考え3年秋の時点で社会人入りを目指すことを決めていた。

地方の時代と言われることが多くなった大学野球、地方リーグで目立った活躍を見せる選手が多くなった。仙台大の馬場皐輔は3年春に3勝0敗、球速も150キロに達していた。大学野球選手権の常連・上武大では鳥巣誉議が柔らかい打撃と内野の守備を見せていた。その大学野球選手権では3年時に奈良学園大の宮本丈が見せる。準々決勝の関西国際大戦でタイブレークで登場すると満塁ホームランを放つなど活躍し、チームのベスト4入りに貢献していた。ショートの守備にも注目されるようになっていた。九州産業大の草場亮太も150キロの速球を見せ、来年のドラフト候補と注目された。

他にも、小学6年生の時に松井裕樹と共に横浜ベイスターズジュニアに選ばれ、東北福祉大で大学を代表する打者に成長していた楠本泰史や、下級生の時から大学代表に選ばれて期待を集めていた専修大の高橋礼や東海大の下石涼太、それに、富士大の小林遼、立正大・小畑尋規、桜美林大の大平達樹といった捕手なども注目された。

確かに多くの選手が出てきた。しかし、この中でバリバリのドラフト1位指名になりそうな選手がいるかと聞かれると、名前を挙げる事ができなかった。2016年の末には、高校時代と同じように、来年の大学生の世代は不作という表現が見られるようになる。そうして2017年を迎える。

2017年度-大学生のドラフト候補リスト

(つづく)


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