元ヤクルトスカウト部長・小田義人氏、早稲田大との縁が強く

東京ヤクルトドラフトニュース 2018年ドラフトニュース

東京ヤクルトでスカウト部長などを務めた小田義人氏が亡くなった。71歳。

早稲田大の選手を獲得

小田氏は静岡高校出身で、その後、早稲田大、大昭和製紙を経て、1972年にドラフト2位でプロ入りし、1983年までプレーをした。そして1984年~1990年まで近鉄でスカウトを務め、ヤクルトの打撃コーチを経て、1995年からはヤクルトのスカウトとなり、2003年からはスカウト部長として活躍をした。

ヤクルトでは1999年に早稲田大の藤井秀悟投手を逆指名枠で獲得すると、2000年には鎌田祐哉投手を2位で、2003年には青木宣親選手を4位で、2004年には田中浩康選手を自由枠で獲得し、2005年には武内晋一選手を自由枠で獲得している。早稲田大と縁が強く、逆指名や自由枠ドラフトの時代に、早稲田大から選手を獲得した。

しかし、2002年の和田毅投手、2003年の鳥谷敬選手などは獲得できず、2009年にスカウト部長を離れてもスカウトとして活動を続けていたものの、2010年のドラフトでは斎藤佑樹投手、大石達也投手、福井優也投手がそろう中で斎藤佑樹投手を指名したが、獲得する事はできなかった。

また、出身の静岡での活動も多く、近鉄スカウト時代には静岡高校の後輩だった赤堀元之投手を見出し、その後も、静清の野村亮介投手や常葉菊川の桑原樹選手などにも注目し、2014年にはヤマハの竹下真吾投手の1位指名の担当をしている。

スカウト部長時代の、2006年の高市俊投手や、2007年の加藤幹典投手、2009年の中沢雅人投手など、上位で獲得をした選手が思うような活躍が見せられなかったという事もある。しかし、1990年代の野村監督時代の黄金期にスカウトとしてチーム作りに関わっており、野村克也氏も「チームの心臓部は編成というのが私の持論。その意味で、スカウトとしてヤクルトの黄金時代に貢献してくれたと思う」と話していた。

その後、黄金期が終わり、主力選手が抜け、そして若松監督、古田監督、小川監督など監督も変わる中で難しい時代のチーム作りを任された。また、自由枠、希望枠といったドラフトでも、在京セと有利な面もある中で、資金力では巨人やソフトバンクなどに及ばず、厳しい時代だった。

昨年2月には、母校の静岡高校の外部コーチに就任し、選手を送り出す方として楽しみにしていたが、最近は体調がすぐれずに車いすで練習に訪れた事もあったという。

内野手として大昭和製紙から72年ドラフト2位でヤクルト入団。大杉勝男とのトレードで日本ハムに移った75年は首位打者の白仁天(太平洋)に5毛差の打率・3187を記録した。83年の引退まで4球団でプレーし打率・256、67本塁打。近鉄スカウトを経て、91年からヤクルトでコーチ、スカウトを歴任。03〜09年はスカウト部長を務め、早大の後輩の青木、田中浩(現DeNA)や武内らの入団に尽力した。

その後は南海、近鉄と移籍し、83年限りで引退。プロ11年間の通算成績は打率・256、67本塁打、274打点。引退後は近鉄のスカウトを務め、91年からヤクルトの2軍打撃コーチ、育成コーチを歴任。95年にスカウトに就任し、早大の後輩である青木や武内晋一らの入団にかかわった。退任後は母校・静岡の外部コーチとして昨春、今春の甲子園出場に携わった。

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