松坂大輔投手を探して

選手コラム

ドラフト会議ホームページは1996年にスタートし、1998年の松坂フィーバーで火がついた。

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松坂大輔選手を探して

1996年は松坂大輔投手が横浜高校に入学した年。しかしまだアマチュア野球の情報が乏しい時代で、1年時の松坂投手の状況はわからない。

松坂投手の名前を聞いたのは2年夏の神奈川大会、スクイズを外す球が大きく外れるサヨナラ暴投で敗れ、3年生の夏を終わらせた事を痛感して泣く姿だった。

そしてその秋の新チームからエースとなった松坂は、翌年秋の国体まで公式戦44連勝という圧倒的な力を見せる。

その中の一つ、1997年秋の明治神宮大会の決勝戦に立ち会えた。沖縄水産・新垣投手との投げ合いとなり、当時、150キロオーバーがほとんどなかった高校野球において、これだけスピードのある投手の投げ合いが見られたのは奇跡だった。

1998年の投球は話す必要もない。PL学園との延長17回の死闘、明徳義塾戦での逆転のマウンドなど、数々の伝説的な投球をし、もうこれ以上のネタは無いだろうと思われた決勝戦ではノーヒットノーランを演じた。

当時はまだ高校生も逆指名をする中で、在京セを希望した松坂投手、ドラフト会議では西武、日本ハム、そしてその年に37年ぶりの日本一となった意中の球団だった横浜ベイスターズが1位指名をしたが、抽選では西武が獲得、記者会見場で少し苦笑いをしている表情を思い出す。

あれから23年、松坂大輔投手も41歳になったという。第1回WBC、第2回WBCでMVPを獲得するなど、日本野球の宝だった。日本の野球、世界の野球に、大きく輝きを放ってくれた。

このドラフト会議ホームページも、26回のドラフト会議を数えた。今でも松坂大輔を探している。

お疲れ様、松坂大輔。

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